平家物語に、「驕れる者は久しからず」という有名な一節がある。地位や財力を鼻にかけて驕(おご)り高ぶる者は、自身を永く保つことなど、できるはずはないという教えである。

 それは現代でも同じこと。職位や権限をひけらかして、実力はないのに驕り高ぶる者に、決して良いことはないのである。

 しかし、同じおごりでも「奢る」のは大事なことではないかと、私は思うのである。

 奢(おご)るとは、人に物を買ってやったり会食の勘定を持ってあげたりすることだ。最近、若い人の間ではデートでの会食も何もかも割り勘が当たり前のようだが、私の若い頃はとんでもない話で、女性に支払わせるなんて、考えたこともなかった。

 少々、話が脱線してしまったが、デートやプライベートな交遊はさておき、ビジネス、それも開発を進める中で、この奢りは重要ではないか、それもたまにではなく、心がけて続けることが大事であると思うのだ。

 そこで、最初に書いた、「驕れる者は久しからず」をもじって、「奢る者は久しい」と言いたいのである。久しいとは、時が長く経過することで、奢ることで付き合いも長く続くということだ。

 誤解を避ける意味でも、もう少し解説させてほしい。

 奢るということは、相手に御馳走(ごちそう)したり金品を贈ったりすることである。だから、大げさに言えば「贈賄」ではないかと言われるかもしれない。

 しかし、賄賂とは自分に有利なように取り計らってもらうために送る金品のことで、そこには「邪・よこしま」な意図があり、私の言う奢ることとは全く違うのだ。