私は抜け目がない奴は嫌いだ。自己中心で自分の利益を優先し、そこのところだけ手を抜かない奴は、大嫌いだ。

 元々、抜け目の意味は、文字通り、抜けたところであり、手抜かり、気の配り方の足りないことである。要するに、少々、間抜け、もっと言えばトンマなことを言う。だが、その抜け目がない奴は、自分の利益に関係するところだけ抜け目がないのだから、ずるいと言うか、狡猾(こうかつ)と言うか、悪賢い(わるがしこい)と思うのである。

 逆に、抜け目のある人は、緩(ゆる)いと言うか、細かいことは気にしないと言うのか、とにかく良くも悪くもルーズなのである。で、どちらかと言うと私は、ある程度抜け目がある人が好きなのである。

 この抜け目、言い換えれば、ゆったりとした人と言っていいのかもしれぬ。細かいことは気にせずに、おおらかにいつもニコニコしているようなタイプが、私は好きなのである。

 そしてよく見ると、このようなタイプの人が開発チームにいると、開発が上手く行くことが多いように見える。いや、見えると言うより、断言してもいいのかもしれぬ。

 開発とは、ある意味で意見の擦り合わせ作業と言ってもいい。誰かの意見に対して、自分ならこうする、いや、お客様はこう考えているはずだと、そんな意見の対立をどう調整するか、その作業であると言っても過言ではない。時には声を荒げ、意見の対立が長引いたり、落としどころが見えなくなったりして、軋轢が収まらないこともある。

 そういう中で、この抜け目のある人が居ると、議論のギクシャクが和らぐというか、穏やかになると言うか、つまり、自分で意識はしなくても、ちゃんと緩衝材(かんしょうざい・クッション)の役割を果たすのである。