最近、社長になる人となれない人が分かるようになってしまった。嫌な話だが聞いてほしい。

 ここで言う「なれない」の意味は、なりたくてもなれない人のことで、だから、断わっておくが、なりたいと念じている人は読まないでほしい。読むとがっかりするからだ。

 結論から言うと、社長になりたいと口に出したり、あるいはそう思ったりするだけで、社長にはなれないのである。言うのはもちろん、思う(願う)素振りもいけないのだ。

 それだけで、社長レースに参戦することも、エントリーすら叶わないのである。

 私の知るところでは、次の社長を決めるのは現社長であることが多い。中には現社長の前の社長(現会長)と合議して決めたり、場合によっては、その前の社長(相談役)にもお伺いを立てながら決めたりする、なんて会社もあるようだ。

 官僚の世界では、キャリア組のOBが集まって飲みながら決めるという噂もあるが、これは本当の話で、よほど官邸のチカラが強い場合は押し切るのだが、官僚の世界は団結心が非常に強い。キャリアのキャリアは自分たちが決めるとばかり、先輩の先輩のそのまた先輩が合議して決めるのだから厄介だ。

 話を企業に戻して、だから、社長になる条件としては、前任者の路線を踏襲するのが基本であり、従来のままで行くと言う誓約(服従とも言える)があって決まるのである。

 それはそうだ。新任社長が、それまでの社長がやってきたことと真逆の路線を打ち出したり否定したりしたら、任命者としてはたまったものではない。そうでないと、花道を飾れないどころか、引退後の影響力も失せてしまう。

 このようなことが条件となって次の社長を決めるのだから、基本的には、現社長から見れば、ギラギラ、セカセカと社長になりたがっている者は、その時点で候補から外れるのである。なりたい、やりたいという言動がチラリとも見えれば、それで失格なのだ。

 要するに、お達しが無いうちに動くこと自体がいけないのである。本人が望んでも望まなくても、社長レースに参戦する(できる)条件が、社長の椅子には無関心でなければいけないなんて、本当に変な話だが、これが基本なのである。