IT(情報技術)を駆使して、長期入院している子どもに「授業」や「自然」を届ける──。そんなユニークな活動をしている人たちがいると聞き、会いに行った。

 ボランティア団体ICF(Improve Children's Future、代表:鹿児島大学医学部6年の山本道雄氏)は昨年11月、鹿児島市立病院の小児病棟と市内の小学校の教室をインターネットで結び、入院中の小学生に授業を中継する試みを始めた。
 
 授業を中継する「遠隔授業」の仕組みは至ってシンプル。教室と病院にそれぞれカメラを設置し、インターネットで映像を配信する(写真1、2)。教室には、壇上に立つ教師を撮影するカメラと、座って授業を受ける生徒らを撮影するカメラの2つを設置。それぞれの映像を、病院の2つのスクリーンで大きく映すことで、臨場感が得られるよう工夫している。

写真1 遠隔授業(病院側)の様子
写真1 遠隔授業(病院側)の様子
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 ICF代表の山本道雄氏は薬学部を卒業後、大学院医学研究科に進学し博士号を取得してから、改めて医学部に学士編入するという異色の経歴を持つ。「長期入院する子どもの教育環境はこれまで全く重視されていなかった。しかし本来は、医療従事者や行政など社会全体で取り組むべき課題」と熱く語る。

 こう考えるようになったきっかけは、鹿児島大学病院の小児科病棟での臨床実習だった。2016年4月、山本氏は急性リンパ性白血病(ALL)を小学校入学直前に発症した男の子Aくんを担当することになった。ALLの治療では、その種類にもよるが約10カ月、長くなると1年以上の入院が必要になるものもある。

写真2 遠隔授業(教室側)の様子
写真2 遠隔授業(教室側)の様子
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 義務教育期間中である小・中学生が長期入院をする場合、病院が設置する「院内学級」に通うか、病院の近くにある小学校に転校し、学習の遅れが最小限になるよう配慮されるという。しかしこういった教育環境についての規定などはなく、整備は進んでいない。

 文部科学省が2013年度に調査したところ、病気やけがにより長期入院(年間のべ30課業日以上)した小・中学校の児童生徒は2769人。うち約半数に当たる1186人は、入院中の学習指導が行われていなかった。

 学習指導を実施しているという残りの半数も、内容は決して十分ではない。同調査によると、実施されている学習指導は、生徒が在籍している学校の教員が病院を訪問する形式が多いが、その実施頻度は週1日以下、1日75分未満が過半数を占めていた。

「入院中の子どもたちの教育環境はまだまだ整備されていない。もっと真剣に考えるべき」と訴える鹿児島大医学部の山本道雄氏。(撮影:深澤猛志)
「入院中の子どもたちの教育環境はまだまだ整備されていない。もっと真剣に考えるべき」と訴える鹿児島大医学部の山本道雄氏。(撮影:深澤猛志)
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 Aくんも、教育環境が十分に整っているとは言えない状況だった。1日中ずっとゲームばかりしている彼の姿を見て、山本氏は「このままではいけない」と強く感じたという。特にAくんは、小学校入学直前で入院したために、大人数で受ける授業や学校の雰囲気を経験できておらず、引け目を感じているようだった。「退院しても、学校に行きづらいと感じて不登校や引きこもりになってしまうかもしれない。学校の雰囲気を少しでも感じられるような仕組みにしたかった」と山本氏は話す。

 シンプルなシステムとはいえ、撮影カメラや音響設備、プロジェクター、スクリーンなど最低限の機材は準備しなければならない。スタッフも、機材の設置やネットワーク障害の対応、機材・配線の保守など1人では実行できない。特に難航したのが、教育委員会や保護者、主治医などAくんを取り巻く様々な関係者の許可申請だ。幸い、最初に相談を持ちかけた、中継先の小学校の校長は快く協力してくれたものの、中継する教室の生徒全員について保護者の同意を得るなど、煩雑な手続きが必要だった。

山本氏は知人から機材を借りたり、ボランティアを募りICFを設立するなど、こういった様々な障壁を1つ1つ乗り越え、2016年11月、遠隔授業が実現した。

 実施前後でAくんの様子は明らかに変わり、勉強だけでなく治療にも積極的に取り組むようになったという。保護者は「復学への不安が大きく減った」と話してくれたそうだ。「学校に1度も全く行かないのと、月1回でもクラスの様子を見ることができるのは全く違うのではないか」と山本氏はみる。

 これまでICFは2016年11月~2017年1月の期間に、月に1回ずつ、2017年5月からは鹿児島大学病院を加えて県内2カ所の病院で、計4回の遠隔授業を実施している。

写真3 全方向(360度)の撮影による映像
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ICFは今後、遠隔授業に加えて「病院内自然体験」の支援活動も始める。これは全方向(360度)の撮影が可能なカメラで自然の風景を撮影し、病院に設置したドーム型のスクリーンに投影するものだ(写真3、図1)。子どもや保護者がスクリーン内に入ることで、実際の自然の中にいるような体験をすることができる。「子どもの長期入院では、子どもだけでなく保護者もストレスを抱えているケースが多い。保護者のストレス軽減にもつながれば」と山本氏は話す。

図1 ドーム型のスクリーンのイメージ
図1 ドーム型のスクリーンのイメージ
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現在ICFは、鹿児島大学医学部の学生ボランティアを中心に活動している。最終目標は、全国のどこの病院でも遠隔授業や病院内自然体験など、充実した教育を受けられるようになることだ。今年5月にはクラウドファンディングで150万円の資金を調達し機材購入に充てるなど、少しずつ活動を進めている。

 通信技術が進歩した結果、遠隔授業などは、技術面では十分実現可能になった。しかしいざ実現に向け行動すると、「前例がない」「決まりがないので認められない」「許可を得ていない」など、目に見えない壁が次々と立ちはだかる。同じようなことは他の分野でも起こっている。山本氏も、他の目に見えない壁と戦う人たちも、負けずに頑張ってほしいと思う。

[関連情報]
・文部科学省:長期入院児童生徒に対する教育支援に関する実態調査の結果