「Indianapolis」は仕事で行った米Indiana州の州都です(関連記事1同2同3同4など)が、それ以前に筆者にとっては米国の重巡洋艦の名前です。終戦半月前の1945(昭和20)年7月30日未明、日本海軍の「伊号第58潜水艦」の魚雷を受けて沈没しました。日本海軍最後の大戦果(米国海軍最後の水上艦艇喪失)といわれる戦いです。その「USS Indianapolis(CA-35)」の記念碑がホテルの近くにあることが分かったので、訪ねてきました。

船の形を模した「The USS Indianapolis CA-35 National Memorial」
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船の形を模した「The USS Indianapolis CA-35 National Memorial」
2016年10月25日撮影、緯度経度は39°46'37.4"N 86°09'53.0"W

米国海軍最後の大型艦沈没

 重巡Indianapolisは、テニアン島に原子爆弾「リトルボーイ」の主要部分を輸送したあと、単艦でグアム島に向け回航中でした。伊58潜は人間魚雷「回天」を搭載していたものの、このときは通常魚雷のみを発射、3回の爆発音を確認。米海軍内の連絡の不備により、沈没の事実が判明するまでに時間がかかり、生存者は4日間の漂流を強いられてしまいました。乗組員1196人のうち、沈没時には約900人が退艦したのに、救助された人数は316に留まりました(参考文献1)。

 その責任を押しつけられる形で、Indianapolis艦長のCharles Butler McVay III世・大佐は「ジグザグ運動を怠った」との理由で軍法会議にかけられてしまいます。米国海軍は、伊58潜艦長だった橋本以行(もちつら)中佐(攻撃時少佐)を検察側証人として米国に連れ出してまで、McVay元艦長を有罪にしました。橋本元艦長は「ジグザグ運動をしていたとしても撃沈できた」と証言したのですが、通訳は正確に訳さなかったそうです(参考文献2)。

 1968年に失意のうちに自殺してしまったMcVay元艦長の名誉を回復しようと、Indianapolisの生存者は運動を始めます。その運動を知った橋本元艦長は、米国上院軍事委員会委員長の議員に手紙を書いて運動を支援しました。橋本元艦長は2000年10月25日に91歳で死去しますが、その直前(10月12日)にMcVay元艦長の名誉回復を連邦議会が決議(Clinton大統領による署名は10月30日)。Indianapolis生存者団体のWebサイトにはかつての敵だった橋本元艦長について、敬意をもってかなりの分量で紹介しています。

 と、いうようなドラマを知ってしまった身にとってこの記念碑は、Indianapolis市街地まで来た以上、行かずに通り過ぎることができない場所です。McVay元艦長の名誉回復運動の最中、1995年に建てられたようです。小さな運河のほとりの公園にある、大変きれいな場所でした。

* ニコラス・ケイジ主演の映画「USS Indianapolis: Men of Courage」が、2016年10月から米国内のAmazonとiTunesで公開(オンデマンド)になっているようです。
モニュメント裏側の乗組員名簿。McVay艦長は左から7列目の一番下
モニュメント裏側の乗組員名簿。McVay艦長は左から7列目の一番下
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美しい公園の一角にあります。この写真の右は運河の水辺
美しい公園の一角にあります。この写真の右は運河の水辺
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Indianapolis市街地の交差点にあった案内板
Indianapolis市街地の交差点にあった案内板
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