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エディターズ・ノート

ニュートリノとは何か

質量は極めて小さいが、一度は物理学を危機から救い、一度は危機へ突き落した粒子

  • 野澤 哲生
  • 2015/10/09 05:00
  • 1/2ページ

 2015年のノーベル物理学賞は、「ニュートリノ振動」を観測した東京大学 宇宙線研究所 所長の梶田隆章氏とカナダQueen's University,Director of Sudbury Neutrino Observatory Institute(SNO)のArthur Bruce McDonald氏が受賞した。

 ニュートリノ関連でノーベル物理学賞は今回が3回目だ。1度めは1995年、原子炉から放出されるニュートリノを実験的に検出した研究者が受賞。2度目は2002年、太陽や超新星1987Aから放出されたニュートリノの観測に成功した研究者(東京大学 名誉教授の小柴昌俊氏ら)が受賞した。

 ではこのニュートリノとは一体何か。1990年当時、東京大学 宇宙線研究所 教授だった戸塚洋二氏は、「電荷のない電子のようなもの」と一般向けの講演会で説明している注1)。筆者は当時学生でこの講演を聞いていた。質量はないか、あるとしても非常に小さいとされ、1990年時点では電子ニュートリノは16電子ボルト(eV)以下(1eVは1.78×10-36kg)であることしか分かっていなかった。

注1)やや専門的な説明では、電子と電子ニュートリノ(νe)の違いは「弱アイソスピン」という量子数の違いとして理解されている。陽子と中性子の違いもアイソスピンの違いで説明できる。ただし、質量については、陽子と中性子はほぼ同じだが、電子とνeは大きく異なる。現時点でもニュートリノの質量は明確になっておらず、νeの場合でゼロ以上、2.5eV以下としか分かっていないが、電子の質量は0.51MeVで、νeの25万倍以上も大きい。

 ニュートリノは太陽から大量に放出され、今も我々の体を貫き続けている。地球上には毎秒1cm2当たり680億個のニュートリノが降り注いでいる。にもかかわらず、我々の体に悪影響はない。ほとんど物質と衝突しないからだ。まるで幽霊のような存在で観測が非常に難しく、活用方法もほとんどない。ところが、その人畜無害な粒子は、それなしでは現代物理学が成立しなかった粒子でもある。ニュートリノが発見されなければ、物理学は20世紀初頭の混乱のまま終わっていたかもしれない。すると、その後の目覚ましい科学技術の発展もなかったかもしれないのである。

 その重要性を理解するには、そもそも物理学とはなにか、から説明する必要がある。あえて乱暴にいえば、物理学とは、エネルギー保存則が保たれていることを確認する作業であるといえる。エネルギー保存則とは、エネルギーは世の中にさまざまな形態で存在し、一見互いに関係がないようにみえるものの、実は互いに乗り移り合うもので、全体としてはまったく増えも減りもしていない、ということだ。その確認作業の結果、光や熱のエネルギー、走る自動車や飛ぶ飛行機のエネルギー、電力、“真空のエネルギー”、さらには空間そのものまで、それぞれ同じエネルギーの1形態にすぎないことが分かっている。アインシュタインが見つけた有名な公式E=mc2も、質量がエネルギーの1形態であることを示したもので、重要な確認作業の一つだったといえる。

 物理学の黎明期は研究した結果として、エネルギー保存則の正しさを確認していた。ところがいつしか、エネルギー保存則を信じることが物理学者であることの証左のようになっていった。エネルギー保存則を疑う学説を発表すると、「彼はもはや物理学者ではない」などと批判されるのである。

 ところが、1914年、このエネルギー保存則を疑わざるをえない現象が見つかった。放射性炭素原子の6C14が、窒素原子7N14に変わると同時に電子e-を放出する現象が詳しく調べられた。つまり、
6C147N14+e-
という変化が観測された現象である。CやNの左下の数字はその原子の陽子数、右上の数字は中性子も合わせた質量数を指す。この電子e-はβ線、現象は「β崩壊」といわれる。β崩壊は、後に中性子nが電子ニュートリノνeと衝突し、陽子と電子に入れ替わる、
n +νe → p+ + e-
という(nとνeのそれぞれの(弱)アイソスピンが変換され、p+ と e-になる)現象がそのエッセンスであることが分かっている。

 だが当時はνeは知られておらず、観測もできなかった。一方、既にアインシュタインのE=mc2は知られており、エネルギー保存則からは、6C147N14のそれぞれの質量差に相当するエネルギーが電子e-の運動エネルギーになると予想された。

 ところが、実験結果はそうならなかった。電子e-の運動エネルギーは明らかに予想よりも足りず、しかも実験ごとにさまざまな値を示したのである。つまり、β崩壊ではエネルギー保存則がまったく成り立たないように思われた。しかも、運動量保存則も成り立っていなかった。

 これは15年ほどの間、物理学者の間で大論争になった。その中で、著名な物理学者のボーア(Niels Henrik David Bohr)がついに「原子核のような微細な世界では、エネルギー保存則や運動量保存則は成り立たない」という学説を発表した。物理学の大きな危機だった。

 この混乱を収束させたのが、パウリ(Wolfgang Pauli)である。彼は1930年、β崩壊の際に、観測できない電気的に中性の微粒子が電子e-と共に放出されており、それを考慮すれば、エネルギー保存則や運動量保存則は成り立っている、と考えた。その粒子が、今でいう「反ニュートリノ」である(β崩壊の左辺に“移項”するとニュートリノになる)。つまり、ニュートリノ“発見”の経緯は、エネルギー保存則を救うための「辻褄合わせ」だった。

 物理学では、理論の弱点を埋める“新粒子”を考えることを、新しい粒子を予言した、ということが多い。ただし、多くの場合は新粒子は質量や性質が限定されており、後に観測でその存在を検証できる見通しがある。ところが、ニュートリノの場合は、パウリ自身が「観測できない」ことを前提にしてしまった。ある意味、苦し紛れに説明を“神様”にまかせるようなもので、物理学にとっては禁じ手に近い。自然現象を素直に信じたボーアを責めることはできない。

 ただ幸運なことに、その後、数多くの種類の粒子の崩壊現象を調べるうちに、それぞれのケースでニュートリノの存在を認めたほうが、さまざまな現象を統一的に理解できることが分かってきた。物理学では、理論は適用可能な対象が多いほど、確からしい理論とされる。こうして、ニュートリノは単なる辻褄合わせから、素粒子物理学の根幹へと昇格していった。

 その中で、上で紹介したβ崩壊で電子と入れ替わるニュートリノは「電子ニュートリノ(νe)」、別の粒子崩壊でμ粒子(ミューオン)と入れ替わるニュートリノは「μニュートリノ(νμ)」、タウ粒子と入れ替わるニュートリノは「τニュートリノ(ντ)」と呼ばれるようになった。

 そして1956年には、実験的にニュートリノの存在が確認された。ニュートリノ一つ一つは、他の物質との衝突確率Pが非常に小さいが、Pはゼロではない。そのため、膨大な数N個のニュートリノを調べれば、観測できる期待値NPを1に近づけられる。これが1995年のノーベル物理学賞につながる。
 

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