就職した30年くらい前のこと、編集部の中での雑談で「『(ドラえもんの)どこでもドア』が欲しい」という話になった。それを聞いた当時の編集長(注:筆者の最初の上司)が「自家用車って、ほぼ、どこでもドアだろう」と指摘した。どこでもドアよりは時間や手間はかかるものの、ふだん行きたいような場所には容易に行くことができる。この指摘には、「記者とはそういう風に考えるものか」と感心して、その後の記者活動には大いに参考になっている。 

 それから数十年を経て、自動運転の話をよく聞くようになると、「自家用車≒どこでもドア」の考えが筆者の頭にはよぎることが多くなった。どこでもドアは究極の移動手段だ。自動運転の自家用車はどこでもドアにさらに近づく。余談だが、「内蔵の地図にない場所には行かれない」というどこでもドアの制限は、カーナビをベースにする自動運転車の制限と同じで、作者の藤子不二雄氏の配慮に思わず苦笑いしてしまう。