さて、苦境が続く電機業界ですが、会社の事業転換によって、悪く言えばリストラで仕事を変わらざるを得なかった方が、新たな分野で素晴らしい成果を出し始めています。例えば、半導体メモリ設計者からサービス科学に転向、ビッグデータを活用した組織改革や人材活用などのサービス事業を始められ、ベストセラーとなった「データの見えざる手」を書かれた日立の矢野和男さん。また、同じく日立でメモリを設計されていた山岡雅直さんは、室温で動作する汎用のCMOS技術を使いながら、量子コンピューターに匹敵する性能で組み合わせ最適化問題を解く、新型コンピューターの開発に成功しました(「日立が量子コンピューター似の新型コンピューターを開発、「2~3年で実用化」へ」(リンク先 ))。このコラムを担当して下さっている日経BP社の大石基之さんもこの5年の間に、「日経エレクトロニクス」から「日経ものづくり」に異動して、新しい世界で編集長として活躍されています。

 ご本人たちは、背水の陣、変わらざるを得ない状況に追い込まれ、必死で新分野を開拓されたのではないかと思いますが、元同業者・後輩としては大変勇気付けられます。こうして半導体から他分野に移って成功しているエンジニアを見ると、1980~1990年代「半導体立国日本」の時代に、その世代の中では相当優秀な方が半導体を手掛けられたことがわかります。異分野でも活躍できるのは、地力があるのでしょうね。半導体事業での失敗を糧にして、新分野に活かされた方もおられるでしょう。

 こうして(失礼ながら)リストラ後に異分野で活躍されている方を見ると、一度くらいの失敗で人生が決まるものではない、とわかります。私自身ももはや、日本では半導体の研究では食べていけない(研究費が集まらない)ので、IoT・人工知能(AI)など新しい分野に首を突っ込んでいます。そして、移った先で、恐る恐る周囲を見回すと、なんだ、以前半導体を一緒にやっていた人ばかりじゃないですか、と一安心することも珍しくありません。みなさん、生き残るために必死に頑張っているのですね。

 エンジニアは専門性があるだけに逆につぶしが利かず、事業や産業が傾くと、沈み行く船と一緒に沈む存在です。しかし、それで終わりではありません。一度沈んでからが、個人としての真価を問われます。分野を変えたり、海外に飛び出して這い上がるのか、それとも沈んだままなのか。

 いずれにせよ、リストラなどでひどい目にあっても、人生が終わるわけではありませんし、絶望する必要もありません。矢野さんや山岡さんの後に続き、2016年は電機産業からリストラされたエンジニアのみなさんが(私自身も)、新天地で活躍したという年にしたいものです。頑張りましょう!