前回に続き、華麗なる技術者、佐藤匠徳氏を紹介する。今回から3回は、コラム筆者の加藤幹之氏との対談でお届けする。佐藤氏は現在、国際電気通信基礎技術研究所(ATR) 佐藤匠徳特別研究所 特別研究所長を務めると同時に、バイオベンチャー企業の代表取締役として自らの研究成果の事業化に挑戦中だ。人工知能(AI)を活用した新技術で、これまでにない疾病の早期予防・治療のプラットフォームを構築。今回は、現在の研究テーマや生い立ちに迫る。
加藤氏(左)と佐藤氏(写真:加藤 康)
加藤氏(左)と佐藤氏(写真:加藤 康)

全部の臓器の状態をゲノムレベルで全て知りたい

加藤 まず、佐藤さんが今、手掛けている研究テーマを分かりやすく教えていただけますか。

佐藤 人間の体には、心臓や肝臓など専門の機能を持った様々な臓器があります。実は、個々の臓器が個別に動いているのではなく、互いにコミュニケーションしながら全体として正常な機能を維持するようにできているんです。

 つまり、ある臓器が悪くなると、その臓器だけではなく、他の臓器にも異常が出てきます。合併症はいい例です。薬の作用でも、ある臓器に効いたからといって、他の臓器に全く何も起きないわけではありません。副作用には直接的なものもあるし、臓器同士のコミュニケーションを介したものもあるわけです。

 今までの研究では、特定の臓器だけを対象にして創薬や診断に結び付けるものが主流でした。でも、我々の研究では、小さな臓器から大きな臓器まで全部の臓器の状態をゲノムレベルで全て知りたいと考えています。そのための技術プラットフォームを「iOrgansテクノロジー」と名付けて、研究を進めています。iOrgansテクノロジーは、疾病を診断により早期発見し、早期に予防・治療・コントロールすることを可能にする技術です。

加藤 それは「細胞レベルで」ということですか。

佐藤 いずれは細胞レベルで全てを知りたいのですが、現時点では時間や資金を考えると臓器のレベルになります。例えば、1万個の細胞が集まっている臓器であれば、1万個の細胞を平均した状態をまとめて解析するようなイメージです。

加藤 なるほど。人間ドックで見るようなレベルではないわけですね(笑)。

佐藤 ええ。例えば、肝臓がうまく働いていないとします。「それは、なぜか」を調べるために体に存在する全ての臓器を関連づけて考えたい。そのことを研究しています。肝臓が悪い時に「腎臓や心臓はどうか」といった程度の研究はありますが、「全て」の関係性を対象にするところが我々の研究の特徴です。

 こう話すのは簡単なんですが、全臓器を取り出して解析することはなかなかできないので、時間もお金もかかるし、技術も必要です。遺伝子情報も全て見るので。

加藤 ヒトゲノムは、既に解読されていますね。

佐藤 そうですね。ヒトゲノムの解析では、技術はあるけれどなかなかできる人がいませんでした。米国の研究者たちが解読に成功したわけですけれど、日本は国を挙げてやろうとして、結局先を越されてしまいました。文部科学省で「どうやって実現しようか」という会議から始めているから、「では、やろう」となった時にはもう終わっていたという…。映画「シン・ゴジラ」の、まさにあの通りで…。

 我々は全臓器の関係性をゲノムレベルで調べる研究を実際にやろうということで、資金や人材を集めて、効率的に実行するプランを既に立てました。単なる面白いアイデアだけではなく、実行に移すステップに入っています。

 大量のデータを扱いますから、そのための解析手法も開発しました。データ量は、これまで生物・バイオの分野で扱ってきたものとは比べ物にならないほど大量です。その方法論として特許も既に出願しました。特許だけで1800ページにも上ります。特許は公開されていますが、誰も読めない(笑)。

加藤 解析手法には、人工知能(AI)を活用しているのですよね。その部分で何かユニークなアルゴリズムを開発したということですか。

佐藤 AIの手法自体は、元をたどれば機械学習ですから、基礎的な研究は昔から存在しています。どちらかといえば、それを応用する分野がユニークなのでしょう。AIに使われる、いわゆるベイズ推定をバイオのデータ用に改良しています。AIの手法をバイオ分野に応用するためには、大量のデータが必要なんです。バイオ分野で使われる従来のデータ量であれば、機械学習は必要ないかもしれません。

 例えば、心臓が悪い時に心臓を見るのがいいとは限らない。もしかしたら、皮膚の遺伝子発現を見るだけで心臓の状態が分かるかもしれない。そういうイメージの研究です。様々な疾患や動物モデル、全ての臓器などに関連する大量のデータを集めることで、相関関係を推定できるようになりました。

 これは、囲碁や将棋でも同じですよね。AIがどんどん強くなっているのは、データが増えたことが最も大きな理由で、基本的な推定手法は以前とそれほど変わっていません。

加藤 データが増え、それを処理するコンピューターの能力が格段に高まったからできる。10年前にはできなかった。そういうことですね。臓器同士の関連性というお話を聞いていると、東洋的な香りがします。

佐藤 はい。西洋にはないのですが、アジアの思想で「重々帝網(じゅうじゅうたいもう)」という言葉があります。様々なものが何重にもネットワークを形作っていて、それぞれがつながりの中で影響し合っているというような意味です。

 これは、西洋の論理的な思考とは、少し違っているんですね。西洋的な論理は一直線で、「Aが起こればBが起こる。Bが起こるとCになる」と考えます。でも、東洋では何億、何兆という様々なものが連なった全体の関係性を重視しますね。例えば、指圧で「足の裏のこの部分は腸に関係している」といった経験則がそうです。我々が資料で「重々帝網」を英語にする際には「Indra's net」と訳すことが多いです。

加藤 今回のプロジェクトは、いつから始まったのですか。