今回の華麗なる技術者は、国際電気通信基礎技術研究所(ATR)の佐藤匠徳氏である。ATRでは自らの名前を冠した特別研究所の所長を務め、2015年にはバイオベンチャー企業のKarydo TherapeutiX株式会社を創業し、その代表取締役を兼務している。

 脳科学やがん、血管、循環器関連で世界的な成果を上げ、「ネイチャー」「サイエンス」「セル」といった世界的科学論文誌に多くの論文を発表。全ての論文の被引用回数は5000回を優に超える。分子生物学や遺伝子の分野で世界を代表する研究者の1人である。

(写真:加藤 康)
(写真:加藤 康)

米有名大学の教授を歴任、日本で新分野に挑む

 その経歴は、まさに華麗だ。筑波大学を卒業してすぐ、1985年に渡米。米ジョージタウン大学で通常5年間の博士課程を3年半で終え、カリフォルニア州ラホヤのスクリプス研究所でポスドクとしてニューロサイエンスを扱い、さらに20代の若さでニュージョージ―州にあったロッシュの研究所に招かれ、責任者として5人の部下を持つ立場となった。その頃から血管の研究に専念し、2つの重要なたんぱく質を発見。30歳を過ぎる頃には、名前が世界的に知られるようになる。

 その後、ノーベル賞研究者を多く抱える米国のテキサス大学やハーバード大学、コーネル大学の教授を歴任した。米国では研究者間の競争が激しく、同時に有名教授は大学間の引き抜きも盛んで、待遇も破格のものとなることが多い。

 佐藤氏も、テキサス大学時代、ニューヨークにある有名大学から、給与は2倍、研究室も2.5倍の広さにするという話があり、移籍が決まりかけたところ、テキサス大学からその上を行く待遇を提示され、結局テキサスに残ることになった。しかし数年後には、ニューヨーク州のコーネル大学にさらに好待遇で転身している。

 コーネル大学は、アイビーリーグの名門大学の1つだが、メインキャンパスはニューヨーク州の中でもニューヨーク市から400km離れたイサカという町にある。都会生活に慣れた学生には物足りない場所にも見え、おまけに厳しい授業に疲れた学生の自殺の名所があるという噂まで流れたこともある田舎町だ。しかし医学部だけはニューヨーク市内にあり、佐藤氏はそこで大きな住宅を提供され、冠教授として研究費もふんだんに使える立場を得たのである。

 米国では相当の厚遇だったと想像するが、佐藤氏は2009年に帰国。日本に拠点を移した後は、新しい分野に挑戦している。

 現在は、人工知能(AI)を用いて疾病を早期発見し、予防や治療に生かす「iOrgansテクノロジー」と呼ぶ技術の研究に力を入れている。代表取締役を務めるKarydo社は、その研究成果を社会に生かすため事業化することを目指す企業だ。

 佐藤氏は、海外の研究者の間では、トム(Thomasの愛称)とファーストネームで呼ばれている。トライアスリートとして鍛えた精悍さと、流暢な英語、温和な日本語で会話する超国際派の研究者だ。

 そうした佐藤氏は、どのようにして創られたのか。日本人には類まれな経歴を持った佐藤氏が、なぜ日本に戻り、これから何を目指すのか。佐藤氏を知れば知るほど、興味を抑えられなくなった。

 今回、京都と東京を中心に、世界中を飛び回る多忙な日々の合間にインタビューの機会を得た。まず、その生い立ちから紹介していこう。