今回からのテーマをサーフェスと決めた瞬間、取材にお伺いする会社は奥アンツーカ以外には考えられませんでした。取材はいつも、恐る恐るお願いするのですが、すぐご快諾をいただき、貴重なお時間と資料を惜しみなく提供してくださいました。顧問の奥 眞純氏や技術部の方から、多くの貴重な資料を頂き、話題をお聞かせいただきました

* 取材の際、どの方も社名は出さなくて構わないとおっしゃいます。しかし、話題と論旨の根拠を示すこと、実際の現場の声を反映すること、そしてささやかな感謝の気持ちを込めたいことなどから、支障のない限り実名を掲載させていただいています。

 お話の根底に、2つのテーマが流れていると感じました。かなり以前から、日本には世界をリードするサーフェスの会社が存在していたという事実の輝かしさと、その開発に懸ける情熱は単なるサーフェスの整備に留まらず、アスリートに好記録を出してほしいという一心からのものである真実です。

 84歳の奥顧問は、相手の表情を見て理解したと確信できるまで何度でも言葉を変えて説明することを、ポリシーとしていらっしゃるそうです。“表情研究者”と自負している筆者の調子が狂ってしまうほどの洞察力でした。

 特に「陸上競技舗装材の歴史は、アスリートの記録への挑戦の歴史です」という顧問の強いお言葉は忘れることができません。スポーツのパフォーマンスを支えるのはアスリートやコーチや審判に限りません。そのどれでもない開発者の思いも、パフォーマンスを支える重要な要素であることを、「サーフェス」に関しても実感しました。

 これから数回にわたって紹介する内容は、1企業や1製品の単なる宣伝といった枠に留まることなく、日本人として誇りに感じられることだと思っています。世界の舞台でサーフェス開発の先駆者として業界をこれまでけん引してきたのが日本の小さな企業だった、と言っても過言ではありません。そしてこれは、今後も続いていくことでしょう。

 それでは、以下のような出来事を軸に、サーフェスのテクノロジーについて時代背景とともに述べていきたいと思います。

1. テニスコートからスタートした日本のサーフェス
2. 国産アンツーカ、陸上競技場のサーフェスに
3. 東京大会で国産アンツーカが五輪デビュー(次回以降予定)
4. 国産アンツーカ、メキシコ五輪で全天候型サーフェスに敗れる(次回以降予定)
5. 全天候型サーフェスの改良に日本乗り出す(次回以降予定)
6. IAAFがサーフェスルールを規定、改良が続く(次回以降予定)