ベルリン五輪の樫の木

 時は1936年。ベルリン五輪といえば、日本人女性初の金メダリスト、前畑秀子選手が出場した女子200m平泳ぎ決勝の実況中継でしょう。当時を知らない私でも、NHKの河西省三アナウンサーが「前畑がんばれ!がんばれ!」を23回連呼した音声は、テレビなどで何度も聞いたことがありますから。

 このベルリン五輪は競技面でも大成功を収めましたが、大会全体の雰囲気も気高いもので、参加者に大きな感銘を与えたといわれています。それは、大会組織委員の1人で理想主義者であり、ユダヤ系の高名なスポーツ学者でもあるカール・ディーム(Carl Diems)博士の功績によるものでした。

 ディーム博士は、古代と近代のオリンピック精神のつながりを象徴することに腐心し、その着想を、オリンピアからベルリンまでの聖火リレーと、表彰式で金メダリストへ月桂冠と樫(オーク)の苗木を授与することで具現化しました。聖火リレーについては、実際にオリンピアから火を運んだのはベルリンが初めてであり、沿道7か国3075kmの旅は、大成功に終わりました。

 月桂冠の授与は古代オリンピックと同じでありましたが、樫はベルリン五輪からの試みです。樫は古代ギリシャの主神ゼウスの好んだ神木であり、またドイツ人が国の木としてこよなく愛し誇りにしている樹です。考案した博士の思いはおそらく、樫の苗木が金メダリストによって世界各国に持ち帰られ、遠い地に根をおろし脈々と生育してくれれば、いつの世でもオリンピックの精神である平和が忘れ去られることはない、と考えたのではないでしょうか。

 博士はユダヤ系であるがゆえ、ナチ政府から追放されそうになったところを、国際オリンピック委員会(IOC)の抗議により留任した経緯もあります。ヒトラー政権の時代を生き抜くことになる博士だからこそ、樫の木に永久の願いを託したのだと思いました。