スターターが機械であってはいけない理由

 さて、謎はこのように解けたので、スタート物語本論に戻りたいと思います。

 そもそもスターターとは、どういう役割を果たす人と認知されているのでしょうか。筆者も含め一般人にとっては、文字通りスタートの合図をする人、不正スタートなど競技者の不正を監視する人というイメージがあります。しかし取材を進めるにつれ、はるかに深い技術や人間性が必要であることを悟りました。

 まず、不正スタートの責任は競技者ではなく、スターターにあるということです。スターターの役割は全員をピストル1発でスタートさせること。競技者はカンでスタートするのは禁止されており、カンで動いてたまたま動き始めが音の後になった、というのは反則です。必ず音を聞いてから、それに反応して出発しなければならないのです。

 個人的には、現代の技術をもってすればスタート合図は人間より、機械に任せる方が正確でベターなのではと思いましたが、それは浅はかな考えだと、すぐに思い直しました。かつて第2次大戦後の米国では、スタートを機械で行ったらどうかという動きがあったそうです。肩に当てる機械を使い、電気仕掛けで、競争馬の出走に似たスタートで注目されました。しかし「機械に拘束されるなどスポーツの本質に反する」と良識ある人間が反対の声を上げました。

 人間の審判によって人間走者の行動を審判するには限界があるが、それを認めた上で人間が人間に合図するという理想を堅持すべき責務を担っているのがスターター。人がスターターを務めること自体がスポーツの基本的理念に基づいているのです。

 もちろん、競技者あってのスターターではありますが、スターターの存在は単なる競技の番人ではなく、勝負をプロデュースする大きな役割だと、さまざまな事実を知るにつれて痛感するようになりました。競技者が勝負の場で、持てるすべての力を出し切れるかどうかは、最初の一歩にかかっております。だからこそスターターは、鋭敏な感覚と集中力を込めたフェアな出発を導くため、競技者の状態を見通し、心地よいスタート合図を演出するのです。

 五感を駆使して、競技者を落ち着かせるような掛け声のタイミング、声の大きさ、速さ、間合いを探りながら、やさしさを込めてピストルを撃つ。それが優れたスターターです。冷たく、表面的に感じるスターターは未熟な証拠だそうです。

 しかしその役目を完璧に遂行するのは、容易なことではありません。「競技者に信頼される存在になりたい」という熱意と努力から成り立つ、現役競技者に匹敵するほどの数限りないトレーニングと、競技者の幸せを祈りながら撃てる人間性の上に、初めて成立するものだからです。

 次回、そのように尊敬されるスターターの中でも神様と称された、佐々木吉蔵氏をめぐる物語をお届けします。

参考文献
野﨑忠信,「1964年東京オリンピック大会コレクションと資料」.
■変更履歴
・本文1ページ目、野﨑忠信先生の肩書きを追記しました。図のキャプション、引用表記を修正しました。[2018/11/12]