ブラインドサッカーは、視覚障害を持った選手がプレーする5人制のサッカーだ。選手たちはアイマスクをつけて、特別なボールが出す「音」と、敵陣ゴール裏にいるガイドの「声」を頼りにプレーする。当然、視覚情報は完全に遮られているわけだが、それにも関わらずフィールド上を駆け、ドリブルをし、ボディーコンタクトをしながらシュートを打つ。健常者の想像を超えるプレーの連続が故に、パラリンピック競技の中でも高い人気を誇っている。

 近年、このブラインドサッカーに対する注目度は日本でも高まっている。そこには、競技の面白さ以外にも理由がある。この競技を統括する特定非営利活動法人の日本ブラインドサッカー協会が自立的な運営を成功させているからだ。

 多くの障害者スポーツの競技団体は、その活動資金の大半を国や行政からの補助金に頼っている。だが、日本ブラインドサッカー協会はそれだけに頼らず、自分たちで事業を展開して活動資金を賄っている。なぜ、こうした運営が可能となっているのか。同協会事務局長 兼 事業戦略部長の松崎英吾氏へのインタビューでその秘密を探る。前編では協会が推進する事業や運営状況についてお伝えする。(聞き手は、久我智也)

障がい者スポーツに抱いた違和感

日本ブラインドサッカー協会 事務局長兼 事業戦略部長の松崎英吾氏。大学生時代にブラインドサッカーに出合う。卒業後は出版社に勤める傍らでブラインドサッカーに携わっていたが、2007年に事務局長に就任。ブラインドサッカーを通して「視覚障がい者と健常者が当たり前に混ざり合う社会」を実現するために、さまざまな事業を推進している
日本ブラインドサッカー協会 事務局長兼 事業戦略部長の松崎英吾氏。大学生時代にブラインドサッカーに出合う。卒業後は出版社に勤める傍らでブラインドサッカーに携わっていたが、2007年に事務局長に就任。ブラインドサッカーを通して「視覚障がい者と健常者が当たり前に混ざり合う社会」を実現するために、さまざまな事業を推進している
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―― まずは、松崎さんがブラインドサッカーに携わるようになった経緯を教えてください。

松崎 私は2002年に、今の協会の前身団体である日本障害者サッカー協会に縁あって関わることになりました。当時はまだ学生だったのですが、試合でゴールキーパーをやったり*1、遠足気分で遠征について行ったりしていました(笑)。

*1 ブラインドサッカーのゴールキーパーは晴眼者または弱視者が担う。

 当時はブラインドサッカーだけではなく、他の障がい者スポーツにも関わったことがなく、障がい者スポーツの常識というものが分かっていませんでした。そのためか、かえって多くの違和感を覚えました。というのも、障がい者スポーツの競技を統括する協会には常勤の職員が一人もいないような状態で、そもそもお金のことを考えること自体がタブーのような雰囲気もあったんです。だから、ブラインドサッカーに関わっていく中で「もっとこうしたらいいんじゃないか」と考えるシーンも多くありました。

 ですが、私は大学卒業後に出版社に勤めていましたので、忙しい時期にはまったく連絡が取れなくなってしまうこともしばしば。十分にブラインドサッカーに時間を費やすことができませんでした。その後、転職を経ていくうちに、自分のやってみたいチャレンジはここにあると考え、かねてお手伝いしていたブラインドサッカーに本格的に携わることにしたんです。そして、2代目の事務局長を任せていただくことになりました。2007年のことで、今年でちょうど就任10年目になります。

明確なビジョンが示した進むべき道

―― 事務局長に就任し、何から手をつけたのでしょうか。

松崎 まず実行したのはビジョンを策定することです。

 当時、日本ブラインドサッカー協会は明確なビジョンを持っておらず、「“なんとなく”世界で戦うために強化をしよう」「そのために“なんとなく”競技を普及させよう」というように、曖昧な基盤の上で行動する傾向にありました。前身団体が立ち上げられた2002年当時は、この競技が正式種目となる2004年アテネ・パラリンピックに向けて“とりあえず”普及活動をしている状態でした。

 私が事務局長に就任した2007年にはある程度の実績も積み重ねていたので、「なぜブラインドサッカー協会の強化・普及を行うのか」ということを考えるための材料そのものはありました。そこで、その理由を明確なものにするために1年半ほどの時間を費やして、「ブラインドサッカーを通じて、視覚障がい者と健常者が当たり前に混ざり合う社会を実現すること」というビジョンと、「ブラインドサッカーに携わるものが障がいの有無にかかわらず、生きがいを持って生きることに寄与すること」というミッションを制定しました。

―― 競技団体のビジョン・ミッションとしては、競技の強化や普及振興を第一義に置いておらず、少々変わっているようにも感じます。

松崎 おっしゃるように、競技団体というものはその競技の日本代表チームをオーガナイズし、ルールを制定し、競技を広げていくことが本質です。しかし障がい者スポーツというカテゴリーの場合、障がいを持っているために社会で生きにくさを感じている方々を対象としています。そういった人々がより良い人生を送るためにいい影響を与えてこそ、スポーツとして成り立っている意味があると思うのです。

 とはいえ、これを決めるまでには喧々囂々(けんけんごうごう)がありました。ビジョンの策定のためにスタッフを集めて2日間の合宿を行ったのですが、そこでも「競技の強化を第一にすべきだ」というスタッフもいれば、「もっと普及させて、競技を知ってもらうことに重きを置くべきではないか」という声もありました。ただ、腰を据えて話をしてみると、言葉は違っていても、表現したい世界観は非常に似ていたのです。その世界観を「混ざり合う社会」という言葉で掲げるようにしました。

 この「混ざり合う社会」というのは、マイノリティーである視覚障がい者だけを対象に事業を展開しても達成できるものではありません。マジョリティーに対しても働きかけ、そうした人々の眼差しを変え、そして社会のあり方を変えていくことが必要なんです。ですから我々は、今もマジョリティーの人々を対象とした事業を展開しています。