東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年に「Jリーグ参入」を目標に掲げたサッカークラブ「LB-BRB TOKYO」(以下、LB-BRB)が2015年に誕生し、話題となった。このクラブは、日本サッカー界としては珍しい大学と地域のコミュニティーの融合を目指したクラブなのだ。

 LB-BRBは、東京大学と慶應義塾大学のサッカー部OB有志が設立した。前身は「東大LB」「慶應BRB」という2つのチームだ。本拠地は東京大学本郷キャンパスが存在する東京都文京区。所属選手は東京大学、慶應義塾大学のOBに加え、関東大学リーグで活躍した面々がズラリと並んでいる。

 前身となる「慶應BRB」のチーム再結成は2010年。その後、東京都4部リーグから快進撃を続け、2017年シーズンからは地域リーグ・関東1部に昇格が決まっている。驚くべきはそのマーケティング力だ。地元文京区に本社を置くフクダ電子と文化シヤッターに加え、コンサルティングファームのPwC JAPANと公式スポンサー契約を締結。他にもスポンサー企業を獲得している。

 さらに2016年12月5日、東京都を代表するビッグクラブへと変貌すべく、「東京ユナイテッドフットボールクラブ(TOKYO UNITED Football Club、以下、東京ユナイテッドFC)」に名称を改めると発表した。東京の顔となるべく、クラブはさらなる成長を目指している。クラブの独自性と未来への展望を同クラブを運営する一般社団法人「CLUB LB&BRB」の共同代表理事であり、チームの監督でもある福田雅氏に語ってもらった。(聞き手は、上野直彦=スポーツライター)

(写真:東京ユナイテッドFC提供)
(写真:東京ユナイテッドFC提供)

東京大学OBと慶應大学OBが手を結んだ

――LB-BRB設立の経緯を教えてください。

福田 サッカーの世界で生きていきたいと漠然と思っていながらも、どのような形で身を立てるのかを試行錯誤していました。そのころから、東京23区にプロのサッカークラブがないということには気付いていました。Jリーグは地方創成のコンテンツと位置付けられ、それゆえに、地方に根付いたクラブが生まれる一方で、大都市・東京の大きな経済力を取り込めるようなプラットフォームとしてのクラブが生まれにくい状態になっています。野球に読売ジャイアンツがあるように、サッカーで東京の経済力を取り込むようなビッグクラブがないのはなぜかというところから、僕はスタートしました。

 Jリーグのクラブは地方創成のコンテンツとして発生したことに加え、まずスタジアムありき、すなわち、インフラがある場所でしかクラブはつくれないという発想に捉われていた。このため、どうしても地方や、東京でいえば西東京地域にクラブが多くできる一方で、インフラがない東京23区にはできにくかったのだと思います。東京という場所は多様性に富んでいるので、なかなか地元への帰属意識・一体感というものが醸成されにくい。こうした背景で、東京のど真ん中に、地域に根差したクラブは生まれにくいのだと思うのです。

 では、日本のスポーツ文化はどこから生まれているのか。やはり学校の体育や、その延長の部活動のような学校スポーツ文化は外せません。今でも甲子園や高校サッカー、箱根駅伝は根強い人気で、特に早稲田大学や慶應義塾大学が強いスポーツは盛り上がります。日本のスポーツ文化は学校コミュニティーに立脚していると感じるのです。これまでは学校スポーツから発展した日本のスポーツ文化に、Jリーグの地方創生・地域密着といった構想がドンと乗っかることがなく、それらがうまく融合されていません。

――LB-BRBの画期的なところは、日本でも珍しい「大学コミュニティー×地域コミュニティー」という構想ですよね。

福田 そこが起点です。まずは学校コミュニティーでコアなグループを形成し、そこに立脚してクラブをつくり、そこから地域に根差したものにしていけばいい。Jリーグのオリジナル10(Jリーグ発足時に加盟した10クラブ)にしたって、もともとは実業団チームで、そこから地域に根付いていったわけじゃないですか。

――海外では、大学コミュニティー発のプロチームもありますよね。

福田 チリやメキシコには大学ルーツの強豪プロサッカークラブが多数ありますし、欧州でも高校のOBチームから強豪になったチームがあると聞いたことがあります。ルーツがどういうものでも、最終的には地域に根差し、地域のクラブになっていけばいいのではないでしょうか。日本では、早・慶・東大は幅広い分野で豊富な人材を輩出していますし、そのコミュニティーの叡智を全てサッカーに取り込めないかと思いました。

――福田さんはチームの代表であると同時に監督でもありますが、会社勤めをしながら、夜と週末に監督業という形だったのでしょうか。

福田 そうです。そのスタイルは今も変わりません。投資銀行に勤務する傍らクラブを運営しています。加えて、2016年4月から日本サッカー協会(JFA)の非常勤の監事を勤めています。