競技場の陸上トラックで本物のフォーミュラカーを走らせてみたり、あるときはISS(国際宇宙ステーション)や南極の基地と競技場を結んで“生交信”のイベントを展開してみたり・・・。今やホーム試合は完売が続き、Jリーグでも有数の人気チームとなった川崎フロンターレ。そこで数々の意外性のあるイベントを仕掛けて観客動員を増やしてきた立役者が、元プロモーション部部長の天野春果氏である。同氏は今、東京オリンピック・パラリンピック競技大会(東京2020大会)組織委員会に出向(2017年4月から2020年9月末まで)し、大会の盛り上げの創出に奮闘している。「Jリーグの名物企画者」は、世界が注目するイベントで何を仕掛けるのか。(聞き手:内田 泰、田中直樹=日経 xTECH)

――天野さんは米国の大学でスポーツマネジメントを学び、帰国後に川崎フロンターレの前身の富士通川崎フットボールに就職されています。なぜ、スポーツビジネスに活躍の場を求めたのですか。

天野春果氏
天野春果氏
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 イノベーション推進室エンゲージメント企画部長。1971年生まれ。ワシントン州立大学でスポーツマネジメントを学び、96年に帰国。97年に富士通川崎フットボール(現川崎フロンターレ)に入社。2001年に日韓W杯運営に出向。2002年、川崎フロンターレに復職。2017年から東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に出向

天野 1996年に米国から帰国し、翌年に富士通川崎フットボールに就職しました。既にJリーグは誕生していましたが、日本では米国や欧州に比べてスポーツが生活にあまり根付いていないと感じていました。はっきり言って、生活からスポーツが“欠落”しているのではと感じ、逆にこの分野は伸びると確信しました。「川崎という土地にはスポーツが根付かない」という否定的な意見もありましたが、そんなことはあり得ないと思っていました。スポーツに対する思想やビジネスの手法がしっかりしていれば、日本にだけ定着しないということはないはずです。

――米国でスポーツが市民の生活にしっかり定着しているのはなぜでしょうか。

天野 僕が通っていた大学はワシントン州の田舎町にあるのですが、日本と比べると娯楽の数が圧倒的に少ないのです。パーティー、映画、ボウリング、そしてスポーツ観戦ぐらいしかない。中でも、スポーツ観戦が最も人気のある娯楽でした。

 また、野球など米国のスポーツには試合に“間”があります。だから、皆でワイワイ楽しみながら観戦できる。僕がいたワシントン州にはメジャーリーグのチームだけでなく、下部の1A、2Aのチームもありました。決して競技レベルは高くありませんが、エンターテインメントとしてのレベルは高い。バーベキューをするためのスペースが観客席より大きかったりして、試合の勝ち負けはおろか、試合を観ていなくても楽しんでいたりします。米国人は、人を喜ばせるのがうまいんです。

――スポーツビジネスが成長する確信があったということですが、あまり観客が入っていない状況から、昨今のように等々力陸上競技場の観客席を埋めるまでファンを増やすのは容易ではなかったと思います。

天野 この仕事は種をまいてすぐに芽が出るものではありません。もともと時間がかかると思っていたので、心が折れることはありませんでした。

 サッカーはビジネスという観点で、野球と比較すると難しい部分があります。試合数が圧倒的に少なく、ホーム試合は多くても年間25試合くらい、J1リーグ戦は17試合しかありません。また、野球のようなプレーの間がハーフタイムしかなく、試合に集中しないといけません。エンタメ的な要素を試合にはさみにくいのです。

 だから、サッカーでは試合前をいかに有効に活用して、地元の人に「我がクラブ」という愛着とスタジアムに足を運ぶ楽しみを提供しなければなりません。確実に1試合を“濃い”ものにするのです。だから、手は抜けません。もちろん、最初から全員が応援してくれるわけではありませんがとにかく数多くアプローチすることが大事です。