転機になった日本代表選手との出会い

―― ただ、今回の公募を含め、組織委員会の仕事は大会が終わるまで、ほぼ2年間限定の有期雇用になります(雇用期間は2019年12月まで)。人材流動がある海外ならその後のキャリアが待っていそうですが、日本人的には正職員としての転職には二の足を踏んでしまうかもしれません。

中田 それをポジティブに捉えられる方々に、ぜひ応募していただきたい。発展途上にあるラグビーは、産業としての成長率が高いのでかなりやりがいがあります。国を挙げた大型スポーツイベントで仕事をすることは、なかなか体験できることではありません。

 スポーツビジネスは、ステークホルダーが多い。例えば、ラグビーW杯では、国際競技団体のワールドラグビー、参加20カ国のチームや競技団体、開催都市やキャンプ地などの自治体、政府、関連の民間企業やスポンサー企業など多様です。

 プロジェクト全体のゴール設定も、チケット販売による収益化だけではなく、人々の気持ちに訴え掛けて大会を楽しんでもらうことや、開催自治体を盛り上げること、大会のレガシーを残すことなど様々な目標があります。

 これらをまとめ上げるプロジェクトには多くの困難がありますが、それだけに大きなやりがいがある。自分自身もそれを楽しんでいますし、商社時代の仕事の経験も役立っています。

中田宙志(なかた・ひろし)。ラグビーワールドカップ 2019 組織委員会 企画局兼総務局 主任。1985年生まれ。東京工業大学を卒業後、2009年に三井物産に入社。プロジェクト本部に配属され、3年間、中南米のインフラ事業を担当。2012年4月からオーストラリアでの発電事業や、中南米の火力発電案件を担当し、2015年6月に退職。同年6月からラグビーワールドカップ 2019 組織委員会 企画局兼総務局に所属し、プロジェクトマネジメント業務と採用・人事戦略立案を担当。
中田宙志(なかた・ひろし)。ラグビーワールドカップ 2019 組織委員会 企画局兼総務局 主任。1985年生まれ。東京工業大学を卒業後、2009年に三井物産に入社。プロジェクト本部に配属され、3年間、中南米のインフラ事業を担当。2012年4月からオーストラリアでの発電事業や、中南米の火力発電案件を担当し、2015年6月に退職。同年6月からラグビーワールドカップ 2019 組織委員会 企画局兼総務局に所属し、プロジェクトマネジメント業務と採用・人事戦略立案を担当。
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―― なるほど。前の仕事で取り組んだビジネスの経験も生かせるし、W杯のプロジェクトの体験も次のキャリアに役立つということですね。とはいえ、転身には大きな決断が必要です。中田さんが組織委員会に転じたきっかけは。

中田 2012年10月に、ラグビー日本代表の堀江翔太選手(パナソニックワイルドナイツ)が「スーパーラグビー」(南半球の強豪クラブが参加するプロリーグ)に挑戦するということをニュースで知りました。堀江選手が加入したクラブが、私が当時、駐在していたオーストラリアのメルボルンにある「レベルズ」だったんです。

 ラグビー経験者にとっては超スーパースターですから単純に知り合いになりたいと思って会社の先輩を通じて紹介してもらい、2013年シーズンのためにメルボルンにやってきた堀江選手に現地の様子やお店などを案内しました。

 2年目の2014年シーズンで堀江選手に会ったとき、「現地で家を探しているんだけれども、なかなか見つからない」という話を聞いて、すごくショックを受けたんです。日本のラグビーファンにとってはスーパースターのプロ選手なのに、自分で家を探しているというのですから。そこで、私が借りている家をルームシェアして同居することにしたんです。一緒に生活する中で、日本のラグビーが難しい状況にあるという話を聞きました。2015年W杯で日本代表が活躍する前で、ラグビーの人気が低迷していた時期です。

―― 何かできることはないかと考えた。

中田 トップ選手の話を直接聞ける環境にある若いビジネスパーソンは他にいないのではないかと思ったんですね。ここで自分が行動を起こさなければ、誰がやるんだと。

 何ができるかといろいろ考えて、Facebookのメッセージで日本ラグビーフットボール協会の徳増浩司さん(現・アジアラグビー会長)に自分の思いを書き綴って送りました。それを読んだ徳増さんから「履歴書を送ってください」という返事が届き、それから半年ほど考えて組織委員会に転職する決断をしました。