日本国民が今後数年間で最も注目する「スポーツ」と言えば、2019年のラグビーワールドカップ(W杯)、2020年の東京オリンピック・パラリンピックというビッグイベントであろう。

 2015年のイングランド大会で日本代表が大きな飛躍を遂げ、大いに盛り上がったラグビーW杯は、ほぼ3年半後に日本にやってくる。今年のリオデジャネイロ五輪で発せられるであろう熱は、地球を半周して次第に日本を包み込むことになるだろう。

 しかしながら、スポーツを産業として見た場合、日本は決して“先進国”とは言い切れない。スポーツ産業を中長期的に成長させる、あるいは社会システムとしてサステナブルな存在にするためには、W杯や五輪のような、いわゆるビッグイベントの開催とは関係なく、打破しなければならないいくつかの「壁」がある。

 代表的な壁は、次の三つだ。「『競技間』の壁」「『制度・組織』の壁」「『グローバル』の壁」である。今回は、「民営化」というキーワードで、これらが壁になっている理由と、壁を壊すカギを探ってみたい。

 では、そもそも「スポーツ」と「民営化」には、どんな関係があるのか。スポーツは民営ではないのか。「壁」について考える前に、まずはその関係からひも解いていこう。

スポーツは、最後の民営化領域

 日本における「スポーツ」と「民営化」の関係を考えるには、100年ほど時代をさかのぼる必要がある。

 スポーツには明治時代に輸入され、主に学校での「体育」と、軍隊での軍事教練の一環として日本に広まった歴史的経緯がある。現在でも多くの大規模なスポーツの催事は国や自治体主催であり、開催会場としての競技場は自治体によって建設され、管理されている。つまり日本では「いまだ『行政』『規制』という壁の中にスポーツは存在している」と言っても過言ではない。

 一方、ほかの産業に目を転じれば、1980年代以降、日本では国営だった電話や鉄道、郵便などの事業が民営化されてきたという流れがある。民営化によって、さまざまな「壁」を取り払い、規制を緩和し、その産業の社会的な意義や役割を高め、産業の発展を図ることが狙いであったと言えよう。少なくとも、インターネットやモバイルの普及・発展、あるいは新幹線の発達とそのインフラの輸出産業化などは、こうした民営化の産物である。

 スポーツで言えば、従来は行政が管理してきた競技場やプール、運動施設を民間に管理委託するという動きが徐々に広がっている。さらに実質的に権限を委譲し、行政の代行を行えるようになる指定管理者制度も少しずつ事例が増えてきた。

 しかしながら、日本のスポーツ産業を俯瞰して見ると、産業としての「民営化」、つまり自立性や自主事業性、自主発展性は他の産業と比較するとまだまだ極めて低いと言えるだろう。他の産業が当たり前のように持っている経済団体連合会や経済同友会のような業界リーダーの連合組織や、「産業の発展計画や戦略を自ら立案する機能」「人材育成や業界内の人材流動性を実現する仕組み」などは未発達である。

 2015年10月にスポーツ庁が設立され、行政側の省庁窓口はできたものの、そこに対して産業発展のために要望を上げていく産業側のまとまりはない。これが、今必要なのである。それを実現するためにも、これまで存在した「壁」を取り払うことが重要だ。

 それでは、前述した三つの代表的な壁について考えてみよう。

スポーツ庁初代長官の鈴木大地氏(写真:加藤 康)
スポーツ庁初代長官の鈴木大地氏(写真:加藤 康)
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