イノベーションに関する議論は、かみ合わないことが多い。この認識から、イノベーションの原点とも言うべきシュムペーターまで戻って、イノベーションという概念を考え直す作業を続けている。この連載第3回では、シュムペーターの定義するイノベーションの最高の実例、すなわちマイクロプロセッサーについて考える。

 このように本連載では、いくつかのイノベーションの事例を、シュムペーターのイノベーション論と照合しながら考察する。ただし登場する事例は、エレクトロニクス関連のものがほとんどである。これは私の専門からの限界として、お許しいただきたい。

マイクロプロセッサーは「新結合」による最大級のイノベーション

 連載第1回で詳しく述べたように、 「経済システムが自らを時間的に変化させる力」、これがイノベーションの本質である[Schumpeter, 1937]。すなわちイノベーションは、経済を成長させる力ということになる。その力は、どうしたら生まれるのか。

 この問いに、シュムペーターはこう答える。「われわれの利用しうるいろいろな物や力の結合を変えること」(「新結合」の遂行)、この活動からイノベーションは生まれる[シュムペーター、1977、上、p.182]。このとき、新結合を構成する個々の要素(物や力)は、新しくなくてもかまわない。新しくなければならないのは、結合すなわち組み合わせだ。

写真は、『エレクトロニクス・イノベーションズ』(日経マグロウヒル社、1981年)。表紙には、本稿に登場するノイス、嶋などエレクトロ二クスにおける大きな技術革新を成し遂げた先駆者11人が並んでいる。
写真は、『エレクトロニクス・イノベーションズ』(日経マグロウヒル社、1981年)。表紙には、本稿に登場するノイス、嶋などエレクトロ二クスにおける大きな技術革新を成し遂げた先駆者11人が並んでいる。
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 この「新結合」から生まれた最大級のイノベーション、それがマイクロプロセッサーである。マイクロプロセッサーは、プログラム内蔵方式コンピューターを半導体集積回路チップに載せたものと定義できる。これら2つの構成要素、すなわちプログラム内蔵方式コンピューターと半導体集積回路チップのそれぞれは、マイクロプロセッサー開発の始まった時点(1960年代末)で、既にありふれた商品だった注1)

 その両者の組み合わせ方を新しくし、集積回路チップにプログラム内蔵方式コンピューターを載せる。この新結合によってマイクロプロセッサーが生まれた。マイクロプロセッサーは、大げさに言えば、その後の人類の運命を変える。ありとあらゆる機器に入り込み、私たちの生活を劇的に変え、大きな産業を形成する。その経済効果は計り知れない。

プログラム内蔵方式と半導体集積回路の当時の状況

 マイクロプロセッサーを実現させた新結合の2つの要素、プログラム内蔵方式と半導体集積回路の当時の状況を確認しておこう。詳しくはどちらも、大きなイノベーションの実例として、この連載のなかで、改めて考えるつもりである。

 プログラム内蔵方式(蓄積プログラム方式とも言う。英語は「stored program」)は当時も今も、すべてのコンピューターの中で用いられている情報処理方式である。ハードウエアは汎用にしておき、個々の仕事にはソフトウエア、すなわちプログラムで対処する。そのためにハードウエアの一部としてメモリーを備える。プログラムはメモリーに蓄えられる。コンピューターに別の仕事をさせるときには、メモリー内のプログラムを入れ替える。

 マイクロプロセッサーの開発が進行した時期、すなわち1960年代の終わり頃の時点で、プログラム内蔵方式コンピューターは既に確立した商品である。大型汎用コンピューター(メインフレーム)、ミニコンピューターなど、大小のコンピューターが実用に供されていた。

 同時期に半導体集積回路は、その集積規模が、LSI(Large-Scale Integrated circuit、大規模集積回路)の段階に達しようとしていた。また半導体メモリーも実用化の時期を迎える。当然、いろいろな分野でLSIを導入したいと考える半導体ユーザーが増えていた。LSI導入には、小型化をはじめ大きな効果が期待できる。

 しかし集積回路の規模増大には、本質的な矛盾がある。集積規模が大きくなれば、1つのチップの機能が増える。例えば電卓なら、今は1個の集積回路チップで、電卓の機能全部がまかなえる。そうすると、このチップは、電卓以外の用途には使えない。集積規模の増大は、チップの汎用性をなくすのである。

 一方で集積回路の製造方法は、どう考えても同じものを大量に作るのに向いている。1度に同じものをたくさん作れるからこそ、1個当たりの製造コストを安くできる。集積規模が大きくなって用途の限定されたLSIには汎用性がない。必要とされる個数は限られる。当然、個々のLSIチップの価格は高くなる。LSIを使いたい。でも高くて使えない。こういうユーザーが増えていた。

 このような時代背景のもと、プログラム内蔵方式の情報処理をLSIチップで実現しようとする試みが、各所で始まる。特許出願も相次ぐ。一説では、500人のマイクロプロセッサー発明者がいるという[Berlin, 2005, p.183]。

 先に述べたように、プログラム内蔵方式のハードウエアは汎用である。だからプログラム内蔵方式の情報処理を実行するLSIは、汎用性の高いチップとなるはずだ。汎用性が高ければ数が出て、LSIチップ1個の価格は安くなる。LSIの集積規模を生かしながら、価格は手ごろなLSIチップ、これをプログラム内蔵方式によって実現したい。こういう期待が高まっていた。