2つの流儀の区別は難しい

 とはいうものの私見では、2つの流儀の区別は簡単ではない。現実には、経済システムは経済外システムと常に接している。経済外システムにおける変化は、経済システムにとっては与件の変化となる。与件の変化に対応した受動的変化か、与件の変化を知って意志的に起こした新結合の遂行か、その区別は難しい。

 例えば、産学連携を考えてみよう。ある大学が良い技術を開発し特許を取得したとする。これを知った企業が、この大学から有償で特許のライセンス供与を受け、新製品を製造販売した。この企業の行為は、どちらの流儀だろうか。

 大学における技術開発という外部の与件変化に対応した受動的活動、企業の行為をそう解釈することも可能だろう。しかし企業が自らの意志的活動として新結合を遂行し、新製品を製造販売したとみることもできる。

 あるいは政府が規制緩和をしたとする。その結果、従来は不可能だったビジネスができることになった。そこである企業は組織改革を行い、そのビジネスを新規事業として立ち上げた。これは、政府の規制緩和という与件変化に対応した受動的活動だろうか。それとも自らの意志による新結合遂行と考えるべきか。実際シュムペーターは、新組織の実現を、新結合の例として挙げている[シュムペーター、1977、上、p.183]。

 ここで問題にしている経済変化の扱い方に関しては、マルクスもまた第1の流儀だったとドラッカーが指摘している。均衡を超える変化は、所有と権力の変化、すなわち経済システムの外にある政治的な力によってのみもたらされる。これがマルクスの考えだった[ドラッカー、2007、p.4]。

 しかし、現実には、どんな経済システムも政治と無縁ではない。自国のイノベーションを活発にすべく、多くの国が近年は政治的な関与を深めている。イノベーションが経済成長の原動力だからである。

 国は、一般には市場交換経済の主体ではない。しかし、経済システムの与件を変化させることはできる。イノベーション実現を目的とした政策を、イノベーション政策と呼ぶ。科学や技術に関する政策と、密接にからんでいることが多い。

 国のイノベーション政策の変化は、経済システムにとっては与件の変化だ。その変化に応じて、経済主体が自らの経済活動を変化させること、その結果として経済システムが時間変化を起こすこと、これは第1の流儀によるものか、それとも第2の流儀か。断定は難しい。

イノベーションは経済システムを不均衡状態にする

 第2の流儀を重視するシュムペーターの議論と、先に述べた「新結合」の関係を見ておこう。生産とは、我々の領域内に存在する物および力を結合すること、これがシュムペーターの考えだ。この「力」には、我々の労働も含まれる。個々の生産方法は、特定の結合(組み合わせ)を意味することになる[シュムペーター、1977、上、p.50]。

 1つの生産方法、すなわち1つの結合を繰り返していると、やがて経済システムは均衡状態に達し、利潤も成長も失われる(後述)。そうなったら、生産物なり生産方法なりを変更しなければならない。すなわち物や力の結合を新しくするのである[シュムペーター、1977、上、p.182]。そうすれば経済システムは均衡状態から脱し、時間的に変化し始める。

 シュムペーターの新結合、すなわちイノベーションは、経済を時間的に変化させる力である。ということは、イノベーションは経済システムを不均衡にする力でもある。「われわれが取り扱おうとしている変化は経済体系の内部から生ずるものであり、それはその体系の均衡点を動かすもの」である[シュムペーター、1977、上、p.180]。

 シュムペーターのモデルでは、経済システム内の経済主体が、その経済システムに時間的変化をもたらす[東畑、1977]。この経済主体が企業家(entrepreneur)である注2)。すなわち企業家は、自らの意志的行為によって均衡を崩し、経済システムを変化させる。言い換えれば企業家こそ、イノベーションを起こす経済主体にほかならない。この企業家については、次回の連載第2回で詳しく考えることにしたい。

 経済システムが成長しているとすれば、そのシステム内の経済主体(例えば、企業)は、利潤(マルクス経済学における剰余価値)を得ているはずである。すなわち「発展なしには企業者利潤はなく、企業者利潤なしには発展はない」[シュムペーター、1977、下、p.53]。イノベーションが経済成長の原動力なら、イノベーションは利潤をもたらす仕組みでもある。

 資本主義経済は利潤なしには生存し得ない[シュムペーター、1995、p.80]。そして均衡状態の経済システムには成長がなく、利潤もない。逆に言えば、資本主義経済には均衡状態はあり得ないことになる。「およそ資本主義は、本来経済変動の形態ないし方法であって、けっして静態的ではないのみならず、けっして静態的たりえないものである」[シュムペーター、1995、p.129]。「それは、いわば永久運動的に運動せざるを得ない、言葉の真の意味での『動態的』な経済機構にほかならない」[岩井、1985、p.59]。

 シュムペーターの原義におけるイノベーションは、経済システムを不均衡にし、利潤を生み出せるようにする。そこで連載の次回(第2回)では、不均衡状態が利潤を生み出す過程について詳しく調べることにする。その過程の中での企業家の役割についても改めて考えたい。これらはまた、資本主義経済活動における利潤とイノベーションの関係の整理でもある。

(敬称略)
【脚注】
注1 英語の「equilibrium」を自然科学分野では普通、「平衡」と訳す。けれども経済学では「均衡」と訳すことが多いようだ。

注2 フランス語起源の「entrepreneur」の訳語として本稿は「企業家」をあてる。ただし『経済発展の理論』[シュムペーター、1977]では「企業者」と訳されている。なお企業家については、語源も含めて連載第2回で詳しく議論する。
【参考文献】
和文文献は、著者の姓の五十音順に配列する。欧文文献は和文文献の後に記載している。配列は著者の姓のアルファベット順である。

[岩井、1985]岩井克人、『ヴェニスの商人の資本論』、筑摩書房、1985年.
[閣議決定、2016]「第5期科学技術基本計画」、2016年1月22日閣議決定.
[経済企画庁、1956]経済企画庁(現内閣府)、『昭和31年 年次経済報告(通称 経済白書)』、1956年.
[後藤、2000]後藤晃、『イノベーションと日本経済』、岩波書店、2000年.
[斎藤、2006]斎藤敬、「ビジネスモデルと技術経営~売り切りもデルからの脱却~」、西村吉雄・西野壽一編、『MOT 大企業における技術経営』、pp.42-60、丸善、2006年.
[シュムペーター、1977]ヨゼフ・A・シュムペーター(塩野谷裕一ほか訳)、『経済発展の理論(上)(下)』、岩波書店、1977年.
[シュムペーター、1995]ヨゼフ・A・シュムペーター(中山伊知郎ほか訳)、『資本主義・社会主義・民主主義』(新装巻)、東洋経済新報社、1995年.
[東畑、1977]東畑精一、「訳者あとがき」、[シュムペーター、1977、(下)、 pp.267-275].
[ドラッカー、2007]P・F・ドラッカー(上田淳生訳)、『イノベーションと企業家精神』、ダイヤモンド社、2007年.
[Schumpeter, 1912]Joseph A. Schumpeter, Theorie der wirtschaftlichen Entwicklung, Leipzig: Duncker & Humbolt, 1912.
[Schumpeter, 1937]Joseph A. Schumpeter, "Preface to the Japanese Edition" [シュムペーター、1977、上] 所収(1937年6月記).