イノベーション概念の拡張と限定

 以上に見たように、シュムペーターの定義したイノベーションは、経済システムが自らを変化させる力であり、経済成長の原動力である。あくまでも経済学上の概念だ。科学や技術との関係は薄い。技術革新は、それだけではイノベーションではない。

 ただし、このシュムペーターのイノベーション概念を拡張する試みもあり、また限定しようとする考えもある。

 拡張する試みの1つは「社会イノベーション(social innovation)」である。イノベーション概念を経済に限定せず、社会的価値の創造にも適用する。例えば、成城大学社会イノベーション学部は、「社会に持続した発展をもたらす人間の創造的活動」と、社会イノベーションを位置づける(成城大学ホームページ)。

 限定の例に、イノベーションとは「新しい製品や生産の方法を成功裏に導入すること」という定義がある[後藤、2000、p.22]。シュムペーターの新結合の(3)~(5)は排除されている。また「成功裏に導入」というのも限定だ。シュムペーターに、そのような限定があるようには読めない。失敗するイノベーションもあると考えた方が自然のような気がする。

 同じく強く限定している例に、「科学技術イノベーション」がある。日本政府は第5期科学技術基本計画において、この「科学技術イノベーション」を強く推進している。その定義はこうだ。「科学的な発見や発明による新たな知識を基にした知的・文化的な価値の創造と、それらの知識を発展させて経済的、社会的・公共的価値の創造に結びつける革新」[閣議決定、2016、p.3]。

 この限定は強い。「科学的な発明や発見」によらない活動は、イノベーションから排除される。先のシュムペーターの5つの新結合のうち、(3)~(5)は「科学技術イノベーション」に含まれないだろう。割符販売の導入や新しい分業の実践も、もちろん入らない。

 マイクロプロセッサーも含めることは難しい。マイクロプロセッサーは先に触れたように新結合の典型である。その経済効果は計り知れない。だからシュムペーターの意味では、マイクロプロセッサーは人類史に残る巨大なイノベーションだ。しかしマイクロプロセッサー開発に「科学的な発明や発見」は見いだしがたい。従って、日本政府が推進している「科学技術イノベーション」には、マイクロプロセッサーは入らないことになる。

 一方、「科学技術イノベーション」が創造すべき価値は、広く拡張されている。経済的価値に限らず、知的・文化的価値から社会的・公共的価値までが対象となる。

 以上のように、日本政府の推進する「科学技術イノベーション」は、シュムペーターによるイノベーションの原義から、遠く隔たっている。

経済システムの時間的変化を扱う2つの流儀

 先回りして答えを見てしまったが、ここでもう一度、原理的な問題に戻る。経済システムが時間的に変化するとは、どういうことか。そこでまず「時間的に変化しない」状態を考える。

 ある経済システムにとっての与件、すなわち外部環境(資源・人口・技術・社会組織など)を一定とすると、完全に自由な市場競争の下では、経済システムはやがて「均衡状態」に達する。この「均衡状態」が、「時間的に変化しない」経済システムである。

 均衡状態は、自然科学でいう平衡状態注1)に似ていて、定常的循環はあり得る。例えば、財貨の交換はあるが、そのすべてが等価交換になっているとしよう。このとき、この経済システムの財貨の合計は時間的に変化しない。これが均衡状態の例である。

 均衡状態にある経済システムも、何らかの原因によって均衡が崩れると、時間的に変化する。この変化の扱い方に、経済学には2つの流儀があるらしい[東畑、1977]。

 経済変化を、外部環境(与件=境界条件)の変化への適応とみなす。これが第1の流儀である。人口、気候、戦争など、外部環境が変化すれば、それに適応しようとして経済も受動的に変化する。この流儀では、新技術の発明なども外部環境変化に含める。

 これに対して第2の流儀では、経済システム内の経済主体(例えば、企業)が、自らの意志的行為によって均衡を崩し、変化をもたらすと考える。シュムペーターは、この過程の理論モデルを構築しようとした[Schumpeter、 1937]。

 第1の流儀について、シュムペーターはこう言う。「これらの変化(戦争、革命、等)はしばしば産業変動を規定するものではあるが、しかもなおその根源的動因たるものではない」[シュムペーター、1995、p.129]。

 シュムペーターが重視するのは、やはり第2の流儀だ。シュムペーターはこう主張する。経済発展は、外部からの衝撃によって動かされた経済変化ではなく、自分自身にゆだねられた経済に起こる変化とのみ理解すべきである[シュムペーター、1977、上、p.174]。

 さらに後には、こう強調した。「資本主義のエンジンを起動せしめ、その運動を継続せしめる基本的衝動は、資本主義的企業の創造にかかわる新消費材、新生産方法ないし新輸送方法、新市場、新産業組織形態からもたらされるものである」[シュムペーター、1995、p.129]。