経済システムを時間的に変化させる「新結合の遂行」

 経済システムを時間的に変化させる力はどのように生まれるか。先回りして答えを見てしまおう。この問いにシュムペーターは、こう答えを出す。すなわちその力は、「われわれの利用しうるいろいろな物や力の結合を変えること」、すなわち「新結合の遂行(Durchsetzung neuer Kombinationen)」から生まれる[シュムペーター、1977、上、p. 182]。

 この「新結合の遂行」をシュムペーターは、後にイノベーションと呼ぶようになる。なお『経済発展の理論』には、イノベーションという用語は出てこない。イノベーションに当たる言葉は「新結合の遂行」である。けれども先に紹介した「日本語版への序文」には、英語の「innovation」が使われている[Schumpeter, 1937]。

 ここで注意すべきは、新結合を構成する個々の要素(物や力)は、新しくなくても構わないことである。新しくなければならないのは、結合すなわち組み合わせだ。

 新結合によって生まれた大きなイノベーションの例として、エレクトロニクス分野では、半導体集積回路やマイクロプロセッサーを挙げることができる。集積回路の構成要素、すなわちトランジスタ、キャパシター、抵抗などは以前から存在していた。それらをシリコン基板の中に作り込んだもの、これが集積回路である。以前から存在していた要素の結合が新しくなったことによって、大きな経済的インパクトが生まれた。

 マイクロプロセッサーは、プログラム内蔵方式コンピューターを集積回路チップに載せたものだ。プログラム内蔵方式コンピューターも集積回路も、それぞれは既にありふれた商品だった。ところが集積回路にプログラム内蔵方式を載せるという「新結合の遂行」は、マイクロプロセッサーという巨大なイノベーションを生み出し、以後の私たちの生活を劇的に変えた。

 集積回路とマイクロプロセッサーについては、この連載の中で、いずれ詳しく紹介する。

技術革新は、それだけではイノベーションとは言えない

 新結合遂行の例、すなわちイノベーションの例として、シュムペーターは5つを挙げる[シュムペーター、1977、上、p.183]。以下はその要約である。

(1) 新しい財貨(新製品など)の生産・販売
(2) 新製法の導入
(3) 新しい販路の開拓
(4) 原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得
(5) 新しい組織の実現

 上記の(1)と(2)は技術との関係が、それなりにある。しかし(3)~(5)は、技術とは、ほとんど関係がない。技術革新というよりビジネスモデルの革新だろう。

 シュムペーターは(2)の新製法の導入について、「科学的に新しい方法に基づく必要はない」とわざわざコメントを付ける。さらに、こうも書いている。「経済的に最適の結合と技術的に最も完全な結合とは必ずしも一致せず、きわめてしばしば相反するのであって、しかもその理由は無知や怠慢のためではなくて、正しく認識された条件に経済が適応するためである」[シュムペーター、1977、上、p.51]。

 ここに見るようにシュムペーターの原義では、イノベーションと科学や技術との関係は薄い。あらためて確認しておこう。技術革新は、それだけではイノベーションとは言えない。

 例えば次の事例は、技術とイノベーションの関係をよく象徴する。蒸気エンジンの発明は、もちろん技術革新である。しかし、イノベーションではない。蒸気機関を用いて蒸気機関車を完成させる。これも技術革新だ。しかし、イノベーションではない。蒸気機関車が出来ただけでは、経済に何の影響も与えないからである。蒸気機関車を用いて、鉄道というシステムが出来たときに、ようやくイノベーションが起こったと言える。鉄道システムの顧客は代金を払う。汽車に乗って行きたいところに行けるからだ。代金が払われれば経済が動く。経済が動かないうちはイノベーションではない。

 (3)の新しい販路の開拓がイノベーションなら、先に紹介した割符販売の導入は、シュムペーターの意味でも、まさにイノベーションである。

 (4)の「原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得」がイノベーションだということは、新しい分業の導入はイノベーションであることを意味する。自社内での部品の製造を外注に切り替える、これはイノベーションである。ただし、逆もイノベーションになり得る。各社が部品外注をしているとき、自社だけ部品内製に切り替えて他社との競争を優位にする、これもイノベーションだ。この分業の問題は、連載の後の回で、詳しく考えてみるつもりである。

 もう1つ、ビジネスモデル革新によるイノベーションの例として「売り切りモデルからの脱却」を挙げよう。カメラを製造販売するキヤノンには、「本当にもうけているのは写真フィルムの会社ではないか」という思いが、早くからあった。この思いがはるか後年、次のようなビジネスモデルとして結実し、キヤノンに大きな利益をもたらす。すなわち、複写機やプリンターが売れると、それらの消耗品であるインクや紙が追随して売れるようにしたのである[斎藤、2006]。