近ごろの日本はイノベーション流行りである。イノベーションが名称に含まれる組織、プロジェクト、会合が数限りなく誕生している。例えば、かつて「総合科学技術会議」と呼ばれていた国の機関は、2014年に「総合科学技術・イノベーション会議」と改称された。

 ところがイノベーションに関する議論は、かみ合わないことが多い。人によってイノベーションの定義やイメージがばらばらだからである。

ノーベル賞から割符販売まで

 例えば2016年に開催された日仏国際フォーラム「Innovation Beyond Technique」において、駐日EU代表部のレオニダス・カラピペリス(Leonidas Karapiperis)は、講演の冒頭をこう始めた。「イノベーションとは何か。すべての言語で、それは同じ意味で理解されているか」。そして違和感をこう表明する。「日本ではイノベーションというと、みんな技術の話ばかりしている」。

 実際「イノベーション=技術革新」と思い込んでいる人が、いまなお日本では少なくない。講義の際に大学生たちに聞いてみると、8割くらいは「イノベーション=技術革新」と答える。この思い込みの起源は1956年度の経済白書らしい[後藤、2000、p.22]。確かにそこには次の記述がある。「投資活動の原動力となる技術の進歩とは原子力の平和的利用とオートメイションによって代表される技術革新(イノベーション)である」[経済企画庁、1956]。

 1956年といえば、第2次大戦後の日本経済が高度成長を始めたころである。この高度成長は新しい技術の導入によって達成された。少なくとも日本人は、そう信じてきた。最初は外国からの技術導入だったが、やがて日本人が自ら新技術を開発する。かくて日本では、60年以上にわたり、イノベーションは科学や技術と強く結び付いた形で議論されている。そのため科学上の研究成果、例えばノーベル賞につながるような大きな科学的業績そのものを、イノベーションと思い込んでいる人さえいる。

 ところがドラッカー(P.F. Drucker)は、イノベーションは技術に限らないと明言し、イノベーションの例として割符販売を挙げる。

経済学者のジョセフ・A・シュムペーター。オーストリア・ハンガリー帝国で生まれた。(c)The Granger Collection/amanaimages
経済学者のジョセフ・A・シュムペーター。オーストリア・ハンガリー帝国で生まれた。(c)The Granger Collection/amanaimages
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 19世紀初めの米国で、農機具の購入に割符販売が導入された。農民は、過去の蓄えからではなく、未来の稼ぎから農機具を購入できるようになる。割符販売というイノベーションによって、購買力という資源が生まれた。ドラッカーはそう書く[ドラッカー、2007、pp.9-10]。

 イノベーションと聞いて、ノーベル賞を思い浮かべる人と、割符販売を思い浮かべる人、この2人の間では、話はかみ合わないだろう。

 こういうときは原点に戻ろう。イノベーションの原点といえば、やはりシュムペーター(Joseph Alois Schumpeter)だろう。本連載ではシュムペーターに戻り、イノベーションという概念を考え直してみたい。それはまた、資本主義経済活動の再考にもつながるはずだ。この連載第1回では、シュムペーターその人と、シュムペーターのイノベーション論を紹介する。

「経済システムが自らを時間的に変化させる力」の解明が目的

 シュムペーターは1883年(明治16年)、オーストリア-ハンガリー二重帝国(当時)に生まれた。同じ年にマルクス(Karl Marx)が没し、ケインズ(John Maynard Keynes)が生まれている。ウィーンで経済学を学び、欧州各地の大学で働く。オーストリア帝国の大蔵大臣や銀行頭取なども経験している。

 1931年には来日し、各地で講演した。日本人経済学者の何人かは、シュムペーターの下に留学している。1932年に米国のハーバード大学教授となり、以後は主に米国で活動した。没年は、第2次世界大戦後の1950年である。

 後にイノベーションと呼ばれることになる概念について、シュムペーターが明示的な考察を展開した著書は『Theorie der wirtschaftlichen Entwicklung』[Schumpeter, 1912]である。この本がイノベーションの、いわば原典と考えられる。初版刊行は1912年、今から100年以上も前だ。

 第2版が1926年に刊行され、この第2版に基づき、邦訳が『経済発展の理論』のタイトルで1937年に出版された。さらに1977年に新訳が出て、岩波文庫に入っている。私が本稿で参照し、引用するのは、もっぱらこの岩波文庫版[シュムペーター、 1977]である。

 この岩波文庫版には、シュムペーターの書いた「日本語版への序文」(1937年6月記)が、英文のまま掲載されている。この「日本語版への序文」の中に、『経済発展の理論』を書いた目的についての記述がある。

 経済が時間的に変化する過程、その理論モデルを構築しようとした、シュムペーターはそう書いている。もっと正確に言えば、「経済システムが自らを時間的に変化させる力」は、どのように生まれるか。この問いに答えること、これがこの本を書く目的だったという[Schumpeter, 1937]。この「経済システムが自らを時間的に変化させる力」、これこそがイノベーションの本質である。

 経済の時間的変化、その最たるものが経済成長だろう。経済システムが自らを時間的に変化させる力、すなわちイノベーションは、経済を成長させる原動力だということになる。誰もがイノベーションに関心を持つ理由が、ここにある。