集積回路(Integrated Cicuit=IC)もシュムペーターの「新結合」の典型である。トランジスタ、キャパシター、抵抗など、集積回路を構成する個々の要素は、以前から存在していた。これらをシリコンの基板に作り込んで電子回路としたものが集積回路だ。

 集積回路以前には、各要素は、それぞれ別の工場で作られた。それらの要素を1つ1つ回路基板に取り付け、手作業で配線し、一定の機能を持った電子回路としていた。ところが集積回路では、要素の作成、基板への取り付け、配線という工程のすべてが、半導体工場の中で完結する。集積回路はまさに、「われわれの利用しうるいろいろな物や力の結合を変えること」[シュムペーター、1977、(上)、pp.99-100]によって実現した。

個別から集積回路へ、東部から西部へ、大企業からベンチャーへ

 集積回路はシリコン注1)で出来ている。そして、シリコンバレーを育てたのは集積回路である。集積回路とシリコンバレーは、互いに刺激し合い、互いに支え合いながら、共に進化して現在に至っている。

 ところが集積回路の前身、個別トランジスタは、同じシリコンで出来ていても、シリコンバレーとの縁は薄い。なお、単体のトランジスタなどを集積回路と区別するときには「個別」(discrete) を前に付ける。

 個別トランジスタは、米国東部の大研究所(ベル研究所)で生まれた。そして真空管の代替物として世に出る(本連載第5回参照)。だから個別トランジスタの製造にまず取り組んだのは、世界中どこでも、真空管を製造していた電気メーカーである。米国では、その多くは東部の大企業だった。ところが、これらの大企業が、集積回路の事業化では大きな存在とはならなかった。

 集積回路で大をなしていったのは、米国では、西海岸、すなわちシリコンバレーのベンチャー企業である。個別トランジスタから集積回路へという転換に伴い、東部から西部へ、大企業からベンチャーへという転換が、米国の半導体産業では同時に進行した注2)

 しかし、欧州や日本では、集積回路も電気メーカーが製造する時代が長く続く。真空管を作っていた大企業が、個別トランジスタも集積回路も作り続けたのである。これらの大企業は、半導体だけでなく、家庭電気製品や、コンピューター、通信機などのメーカーでもあった。

 1980年代の後半になると、欧州でも日本でも、半導体専業の会社が増えてくる。しかし、これらの半導体メーカーは、新しく起業したベンチャーではなく、大企業の半導体部門が分離独立した会社、このタイプのものがほとんどである。

 上に見る米国と日欧の違い、これがどこからきたのか。これはなかなか難しい問題である。ただし次の事実は、ここで指摘しておきたい。仕事の流れが真空管と個別トランジスタでは同じで、集積回路は別になるのである。

 ある機能を持った電子回路を作り上げるまでの仕事の流れは、真空管と個別トランジスタでは、こうなる。すなわち、いくつかの真空管あるいはトランジスタを中核におき、周辺にその他の部品をおいて配線し、回路を形成する。真空管またはトランジスタを作る仕事、部品を作る仕事、それらを調達して回路を作る仕事のそれぞれが独立している。この点、真空管でも個別トランジスタでも同じだ。

 ところが、集積回路では全く違う流れとなる。集積回路を設計する仕事はペーパーワーク(現在の実態はコンピューター作業)である。それを集積回路として具現化する仕事(集積回路の製造)は、半導体工場で行われる。すなわち集積回路では、設計と製造のそれぞれが独立していく。この設計と製造の関係については、後で詳しく考察する。