今は役立たなくても、将来きっと…

 開発を深堀りしていくと、本来の目的とは違う「興味」に出合うことがある。言い換えるなら、最初に目指した目的とは異なる方向に開発の矛先が向いていくということだ。でも、それはよくあること。開発者にとって面白い方が面白いわけで、そうなってしまうのは当然である。

 最初は「これって面白いよな。やってみようじゃないか」といった軽いノリで横道にそれていくが、その先で新しい知見や発見に出合うとますますその興味は加速し、いつしか没頭していくことになる。この没頭によって開発は進み、モノも技術もノウハウも特別に進化していく。

 だが、それが当初目指した新事業や新商品に結実しなかったとき、それを否定し廃棄したいという気持ちになることがある。

 なぜか。

 それは、没頭することで進化したモノや技術、ノウハウが、特別あるいは格別な成果物であるという認識がないからだ。開発者にとって新事業や新商品を作ることは任務であり、そこに結び付かなかったらダメだと思ったり無関心になってしまったりする(あるいは、それを装う)ことはよくある。

 または「失敗した」という苦い思いからくるのかもしれない。うまくいかなかったから、ほくろ毛も良くないものと思ってしまうのである。

 しかし開発におけるほくろ毛は、濃密なものから生えた毛である。特別であり格別な存在なのである。しかも、今は役立たなくても、将来きっと、いや、必ず役立つものになる。

 何より、開発者自身が興味を持ったということは顧客のニーズに近づいたとも言えるわけで、それは、開発においては意味のあることなのである。よく言っていることだが、開発者も顧客の一人である。供給側も家に帰れば生活者・消費者であり、その立場は顧客と同じだと思えばよい。

 だから、ほくろ毛はニーズに近い成果物(モノや技術、ノウハウ)であり、決して抜いてはいけないのである。抜かずにおけば、いつかほくろ毛の成果を使って素晴らしい新事業や新商品を開発することができるかもしれないからだ。

 ところで、私のほくろ毛はどうなっているかって? もちろん、ほくろ毛だろうと何毛だろうと、私にとって毛は大事。抜こうなんて考えたこともないし、とんでもない。だって、放っていても抜けてしまうんです、トホホ…。