泰然自若的な開発顔になればいいのである

 だが、このようなとき、そこにいる誰かが泰然自若として「そうですね。やってみましょう」と自然体で言えば、その場に居合わせたほとんどすべての人は、同じように「そうですね」と頷き、開発が進む。

 初めてのことに取り掛かるとき、誰もが不安になるのは当たり前。だが、特に開発チームのリーダー的な存在が、この泰然自若的な開発顔になれば、全員がスッと納得して情報を共有し、チーム一丸となって開発に取り組むことができるようになるのである。

 私が若い頃は経験も実績も乏しく、それだけの信頼性がなかったので、かなり、このようなことをされた。自分が良いと思う提案をしても、その場にいる人が一斉に首をかしげてしまう、そんな経験を何度もしたものだ。

 しばらくはこちらのせいだからと諦めていたが、いつからか、なぜ首をかしげるのかを考えるようになった。いや、こんな目に遭わされるのはたまらないと、自身の不徳を棚に上げて何とかしようと考えるようになったのである(笑)。

 そんなとき、クライアント先で難しい話をしなければならなくなった。そこで、逆に平易な話であるかのようにわざとゆったりと落ち着いたフリをしたところ、思いがけず、その場の全員がうなずきながら聞いてくれたのである。

 「これだ!」と、私は思った。ゆったりと落ち着いて話すことで、私の顔が泰然自若になっていたのだった。

 後で考えての結論であるが、多分、それまでは難しい顔をして平易どころか、逆に話を難しくしようとしていたのではなかろうか。つまり、自信のない話をするときは、それを見破られないように小難しい顔をしてごまかそうとしていたのである。

 そんな反省から、以降は泰然自若的な顔、つまり「開発顔」を意識するようになったのである。

 いつも言うことが、開発では先の見えないときもあるし苦しいときもある。そのようなとき、特にリーダーたる者が同じように苦しい顔をしたらますます苦しくなってしまう。しかし、涼しい顔で穏やかに解決策を巡らせば、たちどころにその場は安心感に包まれて色々なアイデアが出るようになるのである。

 昔、四国の小さな町の高校の野球部がわずか11人の部員でセンバツに臨み、準優勝を果たしたことで話題になった。その監督は、後に「名伯楽」ともいわれた名物監督であったが、実に開発顔だったように思う。球児たちに対して、いつも泰然自若で接していたに違いない。

 さあ、開発をするなら開発顔で行こう。何事にも動ぜず、平常心を失わず、常に前向きな顔で開発に向かうのである。

 ところで、私の顔はどうかって?

 ははは、言うまでもなく私の顔は開発顔。正真正銘の、しかも、何も無駄のない、真ん丸の開発顔なのである。エヘン!

 えっ、毛がないだけだって? ははは、余計なことは言わないで!(涙)