第三者の意見は大いに参考になる

 手土産を持参すること自体は、悪いことではない。しかし、手土産を持参するのは当たり前で、それを挨拶の一つのように差し出すなら、受け取る側は多分、それを一種のセレモニーとして受け止めているのではないだろうか。

 セレモニーとは儀式・式典のこと。広く知られた公式行事や祭事のことである。だから、セレモニーから始まる会社訪問は、以後の話題も差し障りのない、つまり、たわいない(しっかりとした考えのない)会話に終始してしまうことが多いのではあるまいか。

 訪問して、互いに良いことがあるようにしたい。そもそも、それが訪問の動機なのに、最初にたわいないことから始まってしまうのは、実にもったいないと思ったのだ。

 そんな勘繰るような見方はやめようと思ったこともある。しかし逆に、当たり前に手土産を渡してから本質的な中身の濃い話題に持っていくのも、なかなか骨が折れる。だから、「ツカミ」が必要となる。それが私の場合、相手の会社をどう感じたかという「情報」なのである。

 これには、訪問先の会社も喜んでくれることが多い。第一、同業や業界他社は知っているし分かっているが、異業種の、しかも初めて会う人から自社のことを聞くことはまずない。そもそも、自分たちが第三者からどう見られているのか、そんなことを聞く機会はほとんどないものだ。

 だから、それを率直に語ってくれるとなれば、うれしいに決まっている。私の場合は、その会社にとっての同業や業界他社の情報を持っていることも多く、それを比較ではなく異なる点として話しており、それを喜んでくれているようだ。

 よく「人のふり見て我がふり直せ」というが、第三者の意見は大いに参考になるし、ふだん気付かなかった自社の強みを知ったり、逆に自社の至らぬところに気付いたりすることもあるのではないかと思う。

 ただ、この手土産は、会ったときに、直感的に言うか言うまいかを決めなければいけない。ここが、肝心といえば肝心なところである。なぜなら、他人の意見をそもそも聞きたくないと考えている会社もあるからである。

 もしも、そのような会社にベラベラとこちらの感じたことを言おうものなら、それこそ返り討ちに遭う。「初対面から偉そうに言うんじゃないよ」とばかり、超険悪な雰囲気になる。「二度と来るな!」とケンモホロロ、取り付く島もないとはこのことだ。

 しかし、今までの経験では、ほとんどの会社はおおむね好意的に私の手土産を受け取ってくれている。それはまさに、手土産冥利に尽きる。だから、これからも誠意をもって手土産を持参しようと思うのである。

 以上、手土産にもいろいろあるが、「モノからコト」と同じように、感じたコトも手土産になることを説明した。しかも、相手のことをおもんぱかって申し上げたときの反応によって、相手の会社の体質が大体分かるという効果もある。「余計なお節介だ」という目をする会社と「ありがたい!」と喜んでくれる会社。どちらとご一緒するかは、誰の目にも明らかであろう。

 ところで、最近私の手土産は飽きられているらしい。いつも、近所のきんつば焼きを持参するのだが、そもそもきんつばがよく分からないらしく、苦戦しているのである。

 えっ、そうじゃなくて、偉そうに言うからだって? そ、そんなことを言われても……。じゃあ、有名なチョコレートにしよう! ……ダメだな、こりゃ(冷汗)。