イラスト:ニシハラダイタロウ
イラスト:ニシハラダイタロウ
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 バツイチと言うことがある。×一と書くこともあり、離婚歴のことを言うのであるが、今度の某国大統領などはバツイチどころかバツニだそうな。また、ばつが悪いと言うこともある。この場合、都合や調子、或いはつじつまが合わないことで、きまりやおさまりが悪くなったことを言う。

 いずれにしても、あまりよい意味ではないが、バツも良いと、私は思うのである。

 いつも言うが、開発とは様々な困難の連続でもある。一難去ってまた一難。そんなことが続き、場合によってはくじけるときもある。これをバツとすると、一度くじけたらキャリアに傷が付くと思う人が、案外、多いのではなかろうか。

 しかし、私はその逆で、開発においてはバツイチかバツニくらいが丁度良いと思っているのである。断わっておくが、バツが多ければ多いほど良いと言っているのではない。適度のバツが良いと思うのである。

 なぜバツが良いのか、それは、バツで味わう様々な痛みを通じて、実に多くの教訓を得られるからだ。次につながる復活への教えとか、他人の言動を観察して気付く戒めなど、実に多くの教訓を得るのである。

 ところで、開発のおけるバツの意味は、開発が途中で止まる、或いは結果が悪い(思ったほど売れない)ことなどであるが、このとき大事なことは、くれぐれも他人のセイにしないことだ。

 他人のセイにして、グダグダと恨み辛み(つらみ)を並べては、せっかくのバツが薄れてしまうのである。せっかくのバツを他人のセイにしたら、よそ事になってしまい、教えや戒めが自分のためにならないのである。

 こうして、バツに遭遇したら、それは学びだと思えばよい。