パナソニックは1918年に大阪の町工場から始まった。創業当時の従業員数は3名だったが、約100年が経った今は世界全体で約25万6000人という大企業になった。パナソニックというと家電のイメージが強いが、売り上げに占める家電の比率は約25%と意外に低い。家電の他には、住宅や車載エレクトロニクス、産業用機器などがある。普及が進むIoT(モノのインターネット)では、「T」の部分が成功の鍵を握ると言われており、「T」を多く扱う同社には有利な条件が整っている。同社の宮部義幸代表取締役専務に、CTO(最高技術責任者)の役割やIoT時代の戦略について聞いた。
(聞き手=日経BPクリーンテック研究所 菊池珠夫)

――CTOの役割を教えてください。

宮部 津賀が社長になってから大きな構造改革に着手し、今から3年半ほど前、9つあったドメインを再強化・再編成し、4つのカンパニーを設けました。パナソニック全体を4+1のマネジメントということで経営し、各カンパニーにCEO(最高経営責任者)、CTO、CFO(最高財務責任者)を置いています。

写真1 パナソニック 全社CTO 宮部義幸専務(撮影:新関雅士)
写真1 パナソニック 全社CTO 宮部義幸専務(撮影:新関雅士)

 全社のCTOもカンパニーのCTOも役割は基本的に同じですが、見ている範囲が違います。全社CTOは、各カンパニーが間違った方向に行かないように監督したり、事業に関係ない分野の技術を担当したりしています。全社CTOは直下に事業をする部を持ちません。新規事業を始める場合も、カンパニーがしっかりと軸を持ち、本社CTOは必要に応じてサポートするだけです。

 また全社CTOは技術者の横断的な人事異動を担当します。キーとなる人材を育成するためにカンパニーを越えた配置換えをするなど、全社を横断的に見て人事を行うのです。

――1990年代から2000年代前半までの日本の電機産業は電化と家電のデジタル化でいいポジションを占めていたのに、インターネット時代ではなぜ米国の後塵を拝したのでしょうか。

宮部 出始めたころのインターネットの性能は、決して高くありませんでした。品質は悪く、転送速度も低かったのです。パナソニックも日米間に専用線を引くなどインターネットに積極的に投資しましたが、社会インフラになるとは考えていませんでした。せいぜい一部のマニアが使うアマチュア無線のような存在で終わると考えていました。しかし、それが大きな間違いでした。

 一方の米国は、クリントン大統領とゴア副大統領が「情報スーパーハイウエイ構想」を打ち出したことでインターネットの普及に拍車がかかりました。そして、国家戦略としてインターネットというプラットフォームの上でのビジネス展開を促してきました。その結果、シスコシステムズやアップル、グーグルといった企業が活躍するに至ったのです。

 日本企業は、家電のデジタル化において経営陣がそこに注力するという決断をしました。デジタル化を必ず実現するという、ある意味で腹をくくったのです。でも米国企業はデジタル化に失敗しました。それがインターネットでは、日本企業が決断できず、米国企業は決断したということです。大きな意味でイノベーションのジレンマと言えます。