濱口 はい、なれると思います。僕は「日本人イノベーター最強論」を唱えていますので。ただ、イノベーターになれない人々も、イノベーターに協力する存在としてとても大切です。大きな組織の中でイノベーションについて「知っている人」や「分かっている人」が周りにいるというのは、すごく仕事がしやすいはずだからです。

 ただ、「できる」を超えて「他人をリードできる」という人材には、それを実行できるポテンシャルが必要なので、能力の発揮の仕方を教える人がその人の能力をきちんと見極めなければなりません。

 だって、1年間かけて「分かった」という段階にいる群衆の1人になってもらうというのは可哀想すぎるでしょう。その人を不幸にしてしまう。だから見極めなければならないし、僕は人に教えるときはすごく慎重ですよ。その人のすごく大切な人生の1年、2年を費やして、「伸びんかったらごめんね」じゃ、済まないでしょ。

前野 教育者としては責任問題ですね。「パーパス」と「ポテンシャル」のほかは何ですか?

(写真:稲垣 純也)
(写真:稲垣 純也)
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濱口 「情熱」、つまり「Passion」も必要です。ほかの人に「やれ!」といわれて、棒で突っつかれて砂漠に出て行ったら死にますよ。「パーパス」と絡みますが、パッションと一言でいっても「そこに行きたい」というのと、「死ぬほど行きたい」というのと、「何があっても行くんや」というのではだいぶ違う。パッションとポテンシャルはその人にかなりひも付いています。

前野 「パッション」も、パーパスやポテンシャルのように階層があるんですか。

濱口 うーん、情熱には階層がないですね。結局、パッションは「あるか、ないか」です。情熱論としては「自分ができる」ということを本気で信じられるかということです。

 僕ね、小学生の頃、体育が好きだったんです。それで家にある図鑑で「運動」について調べたら100メートル走のことが書いてありました。「100メートル走はこういう競技で、記録はこうで…」という記述があって、下の方に「人間は100メートル走で10秒は絶対に切れない」と書いてあった。

 そこには、「人間の筋力には限界がある。ただし、南アメリカの高原で走れば空気抵抗が少ないから10秒は切れるが世界記録には認められない。だから地上の普通のところで走ったら10秒を切れません」と思い切り書いてあったんですよ。

 小学生の僕はむちゃくちゃ悲しくて、「これは何だ!」と思いました。だって「もしかしたら僕がオリンピック選手になって、10秒を切っちゃったらどうしよう」とか想像を膨らませていたのに、ダメと書いてあるんです。でも、何年かしたら10秒を切る選手が現れた。一度、10秒を切ると、その後、みんなバタバタ切ってくるんですね。これは何かというと、「10秒を切れる」とみんなが信じたからなんです。

前野 信じるというか、思い込むということですか。