何だか卑怯だなって思いまして
前野 僕が栗原さんと初めてお会いしたのはSDM(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科)の修士課程に入学してきたときだけど、とても驚きました。出で立ちが見るからにイノベーティブだし、経営している携帯電話販売会社の店名は駄洒落のよう。だけど、年商100億円以上の企業として成功している。常にすごいことを発想していて、様々なこと成し遂げた栗原さんがSDMに入った理由は何だったのでしょう?
栗原 32歳のときに青山学院大学の経営学部に入学して7年間かけて卒業しました。実は、その時の勉強がつまらなかったんです。何だか卑怯だなって思いまして。
前野 卑怯って?
栗原 例えば、講義で「なぜダイエーがダメになったのか」というようなケーススタディーを聞くと、僕にとっては後付けで文句をつけているように見えてしまう。「後からだったら誰でも言えるわい。絶好調のときに警鐘を鳴らすなら学問としてありだけど、同じような状況なんて2度とないはずだ」と思いました。だから過去を見るのではなくて未来をつくることをやりたいと調べていたところ、「SDMが世界を変える」と書いてあるのを見つけました。よく分からないけど、面白そうだと思いまして、それで受けてみようかなという感覚だったんですよ。限られた人生の中でもっと大きいところに影響を及ぼしたい、良くしたいという気持ちでしたね。だからこれまでとは違うところ、自分の仕事とは異なったものを求めて大学院の門を叩きました。
前野 そういう意味では普通の社長であれば大学院に行かずに社長のままでいいのに、わざわざSDMで学生の立場で学ぼうと考えたのは面白いですよね。
栗原 学ぶというより、何かやりたいという感じでしたけれども。
前野 僕は栗原さんのことを天才型イノベーターだと思っています。だからSDMの学生という立場だけではなく、イノベーション論とかコミュニケーション論の講師として講義をしてもらったりもしています。栗原さんは自身がイノベーションの実例でもあり、リーダーでもあるので、SDMの学生たちに発破をかけてもらっています。
栗原 自分もですが、学生のみなさんにも殻を破って欲しいと思って講師をさせていただいています。イノベーティブな発想をするためには、イノベーティブな人生を歩んでいなければならない。そうしなければ自分自身でツノを折っちゃっているような気がしてしまうものですから。