慶應義塾大学大学院の前野隆司教授は、つかみどころのない不思議な人である。超音波モーターの研究から興味が広がり、ロボットの触覚研究に。その後、イノベーション教育を立ち上げ、哲学に興味を持った今は「幸福学」の第一人者と呼ばれている。幅広い分野でその才能をいかんなく発揮してきた才人にもかかわらず、「イノベーションは、誰でも起こせる」と公言してはばからない。「それならば、ぜひそのノウハウを」ということで、前野教授に「誰でもできるイノベーション」についてコラムを担当していただくことにした。題して「イノベーションの幸福学」。まずは、教授が考えるイノベーションとは何かをお届けする。「誰でもできる」の真意とは。(聞き手は、市川智子)

―― これから「イノベーション」をテーマにしたコラムを前野教授にお願いするわけですが、なかなか難しいテーマです。だって、イノベーションって、いかにもすごそうじゃないですか。そもそも前野教授にとってイノベーションとは何ですか?

前野 僕は「どんな仕事でもイノベーションは起こせる」と思っているんです。もっと言えば、どんな仕事でも「もっとこうしたらいい」という答えを突き詰めていくことで、「イノベーションは、誰でも起こせる」と。

―― 誰でも、ですか?

前野 そうです。僕が考えているイノベーションは、世界を変えるような最先端の取り組みに限ったことではありません。誰でも思いつくような日常生活の中の疑問に隠れていて、何らかの変化をもたらすものはすべてイノベーションと考えています。

 「既存のものと似ているものはイノベーションではない」と著書*1には書きましたが、その結果が億単位の年収を稼ぐような大きなものでも、目の前の仕事を工夫してボーナスが5000円増える程度でも、どちらもイノベーションなのだと最近は思っています。

前野 隆司(まえの・たかし)<br>慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科 教授(写真:加藤 康)
前野 隆司(まえの・たかし)
慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科 教授(写真:加藤 康)
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 「誰でも思いつくような疑問」は文字通り、誰でも思いつくわけですけれど、ついつい社会常識の枠に当てはめて、自分の殻で閉ざしてしまいがちです。それがイノベーション的発想を阻害しています。

 例えば、いろいろな動物の能力を測るために「この木に最も速く登った動物が1等賞です」というテストだけで判断するのはおかしいですよね。クジラは負けて、サルが勝つという結果になります。このテストは平等ではありません。

 日常生活における競争は、このテストと同じようになってしまっています。つまり、本当はイノベーティブに発想できるのに、周囲がそれを許していないと多くの人が思い込んでいる。