前野 その後、米国に留学して帰国後にメーカーから大学に移りました。それを機に「やわらかい機械」というか、人間に関わる研究がしたいと思ってロボットを研究テーマにしたんです。

 当時、ロボットと言えば、二足歩行やロボットハンドが研究のメインストリームでした。でも、そのときに僕が興味を持ったテーマは、なぜか「触覚」でした。「人間には、どうして指紋があるのだろう」と考えたことが出発点です。「つるつる」「ざらざら」を感じるロボット用センサーの研究を始めました。

―― 当時としては、変わった研究テーマだったのですね。

前野 そうです。最近になって触覚は、ロボット研究全体の中で、大きな柱の一つになっています。あまり注目されない時期からコツコツと研究してきた僕は、いつの間にかロボットの触覚について国内の研究を取りまとめるような立場になっていました。振り返れば、ちょっとした疑問をキッカケにした“たまたま”の選択だったのです。

―― 最近、前野教授は「幸福学」の研究も手掛けて、注目を集めています。エンジニア出身なのに、なぜ「幸福学」なのですか。

前野 幸福学についても、そこにたどり着く過程は同じなんです。ロボットの研究を手掛ける中で、人間の「心」に興味が湧きました。「哲学」ですね。

(写真:加藤 康)
(写真:加藤 康)
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 そのときに学生時代に学んだ技術開発における倫理学を思い出しました。

 これは、「我々はどう生きるべきか」ということから出発して、「この製品を作るべきか」「原子力技術を作るべきか作らないべきか」というようなことを考える学問です。

 実は、ものづくりに携わるエンジニアのすぐ近くには倫理学がある。エンジニアの心の中で生まれる「この新しい技術を作ることは、社会的に正しいか」という根源的な問いに答えるためには、工学を俯瞰する倫理学が必要になります。ただ、技術系の倫理学教育は「ワイロはいけませんよ」「不正はいけませんよ」といった後ろ向きな話になりがちです。

 でも、僕は、もっとポジティブな倫理学があっていいと思った。「我々はどう生きるべきか、どういうことが幸せなのか」と、よりよい人生を送るためのことを考える学問も必要です。そういう研究がないことに素朴な疑問を抱いて、幸福学をテーマにコツコツと研究していたら、これもいつの間にか第一人者と呼ばれるようになりました。

―― イノベーション教育も手掛けていますね。関連の書籍も出版しています。それも同じだと。

前野 そうですね。2008年に「システムデザイン・マネジメント研究科(SDM)」という新しい社会人大学院が慶應義塾大学にできました。「機械工学」「情報工学」「経済学」「経営学」といった縦割りの学問体系ではなく、理系と文系の枠を超えてイノベーションを起こしたり、新しいシステムをデザインしたりする新しい体系をつくろうということが設立の趣旨です。

 ロボットを研究していた僕は「心」をテーマにした哲学に興味が湧いて、工学と哲学をバラバラに学ぶのではなく、両方の分野を融合しつなげられるのではないかと思っていました。それでSDMに移ってきたんです。