東日本大震災の40時間後にwikiサイト
前野 前回、東日本大震災の話が出ましたが、太刀川さんは災害時に有効な知識を集めて共有するwikiサイト「OLIVE」を作ったんですよね。
太刀川 はい。震災の40時間後に作りまして、「みんなで被災地の役に立つオープンなデザインや、オープンなアイデアをいっぱい書き込む掲示板を作ろうぜ」と呼び掛けました。サイトを立ち上げてから2週間で100以上の投稿があって、どんどんそれが翻訳もされていき、震災から約3週間くらいで1000万人くらいの人に届きました。そして僕にとっては大きな決断があって、この「OLIVE」をやるために僕は「覆面デザイナー」であることをやめました。
前野 覆面デザイナー?
太刀川 実は震災の当日まで本名を名乗って活動していなかったんです。5年間ほど僕はずっと匿名のNOSIGNERで、「謎のデザイナーが何か出しているぞ」という状態でした。
前野 そうだったんですか。
太刀川 覆面デザイナーをやめるということは、震災後にいろいろと考えたことの1つでした。匿名で、1人でずっと作っていくことには何の支障もありませんでした。しかし、「OLIVE」では様々な人たちとコ・クリエーションしていかないといけなかったので、匿名の活動は難しいと。
前野 本名を名乗って行った「OLIVE」がベースとなって、それ以降も東北に関わるようになっていくんですよね?
太刀川 そうです。その時に出版した本が基になって、東京都の防災ブック「東京防災」ができました。
前野 「東京防災」を作っていく過程の太刀川さんは順風満帆に見えるけど、実際はどうだったんですか?
太刀川 実は合間、合間で世の中から必要とされていないタイミングもありました。「OLIVE」は話題になったし、すごく盛り上がっていったのですが、被災地に物資が届くようになる6月頃には逆に「OLIVE」は実際の被災地での役割が収束し始めていたんです。
支援が情報からモノに変わり、さらに経済支援に重きが置かれるようになっていったからです。そうなると大量にたまったデータベースは防災にしか役に立たなくなって、僕は防災の展示をやり始めました。そんな中で「OLIVE」を基にした書籍を発行したりしました。
でも、そのタイミングでは防災よりも被災地支援の方が大事だったので、別の方向性の役割を模索しました。そして被災地で産業が足りないのが課題になってきていたので、OCICAという鹿の角のアクセサリーのブランドを仲間と立ち上げたりもしていました。
前野 いろいろなことをやってきているんですね。
太刀川 そうしているうちに、「防災産業を手掛けることは、面白いのかもしれない」という気付きがあったんです。「世界最大級の災害があったところが、世界最大の防災産業のメッカになったら、それは希望にあふれていてかっこいいビジョンだ」と思いつき、「防災産業をやりたい」と仙台市の人たちに提案しました。でも、なかなかパートナーが見つからず、スタートがうまく切れずに頓挫しました。