社会の小さな歯車の一つになりたくない
前野 横田さんは東京大学の「i.school」での活動だけではなく、最近は慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント(SDM)研究科の修了生とのプロジェクトにも取り組んでいて活躍の場を広げています。マネージング・ディレクターを務めるi.labでは、大手のコンサルティングファーム顔負けの成果も出している。猛烈に燃えているという感じなのだけれど、その源はどこにあるんですか。
横田 私は長崎県出身なんです。日本の端にあって田舎の感覚があり、異国情緒にあふれて絶えず変化が求められ、また原爆で一度破壊された後に復興してきた。そんな地域で育ったことが自分のベースにあると思っています。物心がついたころから科学や物理に興味がありました。中学ぐらいから「社会の小さな歯車の一つになりたくない」という「中二病」のようなところがありましたね。
前野 中学時代は優秀な生徒でしたか。
横田 そんなことはありません。両親とも大学には行っていませんし、兄弟も親戚も是が非でも進学しようという感じではありませんでした。僕が3歳の時に父が亡くなり、姉が車いすの生活を送っていたこともあって人生をフラットに考える傾向はありました。「能動的に生きていかないと人生って大変だな」と感じていたので、中学生の時に「自分は何をやりたいのか、将来何をして生きていくのか」と考え始めました。姉と母にそのことを4時間くらい話したことがあります。そうしたら、母が「あなたは大学に行ったらいいんじゃないか」と。「小難しいことは大学に行ってやれ」ということになりました。
前野 そこで大学に行くことを決めたのですね。どんな勉強をしたいと考えていたのですか。
横田 やるなら、哲学か物理と考えていました。
前野 中学生で哲学や物理を選ぶってすごいですね。
横田 ちょうど一番上の姉が大学を受験した時期で、そういう学問分野があるということを知り、科学雑誌の「Newton(ニュートン)」を読むようになりました。次第に何か天命を得たというような感じになって、「自分は物理を勉強するために生まれてきたんだ」と勘違いをするようになりまして。「高校に行かずに早く大学に入る方法はないか」と考えていました。
でも、そんなに勉強ができる方ではなかったですし、高校受験には失敗して、あまり偏差値が高くない男子校に入ったんです。この学校が長崎県下でも女の子にモテることに情熱を燃やす学校で。
前野 高校時代は、そっちの方面に情熱を燃やしていたの?
横田 割とダラダラとしていて、昼間はひたすら寝ていました。今思うと人生で一番後悔しているのはその時期です。「早く高校を辞めたい。早く大学に行きたい」と思ってばかりいました。
高校3年生のときに「高校を辞めて、大検を受ける」という話が持ち上がって自分では辞めるつもりだったのですが、母が「あと半年だから頑張って」と言うので、「じゃあ、仕方がない」と高校を卒業することにしました。1年浪人して九州大学の物理に入学したんです。
前野 希望していた物理の道にいよいよ進んだ。