慶應義塾大学大学院の前野隆司教授と、オリィ研究所・代表取締役所長の吉藤健太朗さんによる対談の最終回。OriHimeの開発過程で「コミュニケーションとは何か」という思考実験を繰り返した吉藤さん。かつて人工知能(AI)の開発に携わった時に感じた違和感が見えてきたという。2人の対談は、コミュニケーション論から、「ありがとう」という言葉の持つ意味や、孤独の解消がもたらす幸せ、生きがいの本質へと広がっていく。
吉藤さん(左)と、前野教授(右)(写真:加藤 康)
吉藤さん(左)と、前野教授(右)(写真:加藤 康)
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普段やらないような会話を楽しむ時間が重要

前野 オリィ研究所は今後、どういう方向に進んでいくのですか。

吉藤 我々が目指しているのは、「一緒にいる感覚」「誰かと一緒にいたい」という時間を過ごすためのもっと最適なツールを探すことです。このOriHimeの形だけではなく他にもある気がしているので。

前野 他にもソリューションはあり得ると。OriHimeは1つの最適解かもしれないけれども、全く違うものがあり得るとも考えている。面白いですね。

吉藤 きっとあると思うんです。OriHimeは家にいてくれたり、部屋にチョコンといてくれたりにはいい形なんです。ただ、いくらこれがよくて、ここに盛岡にいる番田が入っていても、私はこれを持って電車には乗りません。「よし番田、今から帰ろうぜ」といって、これを持って電車の中で「最近、暖かくなってきたよな」と話したりはしませんから。

前野 何か違う気がするということですね。

吉藤 移動時間というのは、悪い意味ではなく無駄な時間ですよね。目的はもちろん目的地へ向うことです。でも、家族でドライブしているクルマの中で、つい暇だからしりとりをしてしまうといった、普段やらないような会話を楽しむ時間が案外、重要なのではないかと思うんです。遠隔にいる人はそれができないので、移動中なども一緒に楽しめるツールがあってもいいと考えています。

前野 それは、OriHimeとはまた違う形と。

吉藤 そうなると、究極のソリューションは「ゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじ」じゃないかと思うんです。目玉おやじは体の一部に過ぎなくて、サイズ的にも、自然に使われるようなデザインもいいですよね。もちろん、目玉おやじは鬼太郎の世界だから自然なんでしょうけど。でも、「あんな感じの小人がいたら肩に乗せるんだろうな」と思ったりもします。もちろん肩に乗せるのが正解とは思っていないので、もっと他に例えば「メガネ型がいいかもしれない」と考えたりします。

前野 でも、「家族旅行におじいちゃんを連れてきました」と、OriHimeを連れて行ったりする人はいるんですよね。人によるというか、状況によるのかな。

吉藤 ええ。状況によると思います。「家族旅行には行くけれど、電車には乗らない」ということです。離れて暮らすお母さんと花見に行こうとドライブに行く家族もいます。OriHimeを持っていき、一緒につながっているコンピューターも持っていって、クルマの助手席にお母さんOriHimeを乗せて一緒に周囲を見ているんです。お母さんOriHimeはキョロキョロしながら、「あ、ケンタッキーがある」とか他愛のない会話をして、目的地に到着したらクルマを降りて、家族がそのまま一緒に花見に連れていきます。こんなクルマの中のドライブの時間ですら、一緒にいると楽しいんです。

前野 家族だからなのかな。

吉藤 いえ、家族であっても、例えばOriHimeを箱に詰めて持っていくと、それはモノ扱いになりますし、その間は電源が入らないので少し悲しいですよね。家族と一緒にいる時間を過ごすということを目的としたものだとすれば、家族も意識的に「着いたら電源入れるよ」というよりは、「一緒に行こうよ」という感覚をどうつくり出すかが大切なのでしょう。

 それでも、目的地で一緒に楽しむだけでも、だいぶ感覚は違うと思います。先日、ノルウェーから東京ディズニーランドに遊びに来た家族は、お父さんが入院中で日本に来られなかったんです。でも、OriHimeを使ってお父さんもパレードや子どもたちの様子を病院のベッドから見ることができて、すごく喜んでいたと聞きました。将来的には遊園地でOriHimeが貸出できて、遠くにいるおじいちゃんに来てもらって一緒に遊んだり、「おじいちゃん、カメラ係ね」っておじいちゃんが写真を撮ったりできたらいいなと思っています。

前野 いいねー。使いたいなあ。講義もできちゃうよね。