「『日経テクノロジーオンライン』のコラムなのに、なぜか今までテクノロジー分野で活躍している人をお呼びしていなかったので、満を持して、ついに技術系のイノベーターのご登場です」。慶應義塾大学大学院の前野隆司教授がそう言って対談に招いたのは、コミュニケーションロボット「OriHime」や、関連するユーザーインタフェースの開発を手掛けるオリィ研究所の代表取締役所長でロボットコミュニケーターの吉藤オリィさんこと、吉藤健太朗さん。OriHimeは、身体的問題や距離の問題で、対面で会話できない状況をロボット技術とコミュニケーション関連技術で克服する分身という位置付けのロボットだ。かつて前野教授は吉藤さんの話を聞いた折、ロボティクスの技術はもちろん、その思いやビジョン、そして行動に涙が出てきてしようがない程に感動したと話す。幸せの研究を進める前野教授の心を震わせた吉藤さんの目指す世界とは。
吉藤さん(左)と前野教授(右)。真ん中の白いロボットが「OriHime」(写真:加藤 康)
吉藤さん(左)と前野教授(右)。真ん中の白いロボットが「OriHime」(写真:加藤 康)
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「あんた、ロボットに興味はないか」

前野 吉藤さんを「オリィさん」と、みなさん呼びますね。

吉藤 本名は、吉藤健太朗といいます。健康で太っていて朗らかと親は願って付けてくれたと思うのですが、全て実態とは反しておりまして。前野先生のおっしゃる通り、みなさん、私のことを健太朗とは呼ばず「オリィ」と呼びます。由来は、18歳のときに出身地の奈良にある法隆寺で「奈良文化折り紙会」を立ち上げまして、そこの会長をやっていたことです。せっかくなので、折り紙会・会長の実力をお見せしようかなと思いまして、折り紙を持ってきました。

前野 おー。 コートの内側から本当に折り紙が出てきた。手品師みたいだな。子どもの頃から折り紙は好きだったんですか。

折り紙を折り始めた吉藤さん(写真:加藤 康)
折り紙を折り始めた吉藤さん(写真:加藤 康)
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吉藤 (折り紙を折りながら)はい。あまり外で遊ぶ子どもではなく、牛乳パックや発泡スチロールなんかを集めて工作をするのが好きでした。折り紙は3歳ごろから黙々とやっていて特に好きで。人とうまく話すことができずに、普段は浮いた子どもだったのですが、折り紙が上手なおかげで幼稚園や小学校低学年の頃は中心にいられました。さぁ、出来ました。この折り紙は「吉藤ローズ」といいます。

前野 すごい、カッコイイね。美しい。これは、吉藤さんの創作折り紙ですか。

吉藤 ええ。そうです。

前野 へぇー。本当のクリエーティビティーというのは、こういう折り紙のようなものをゼロから創作できる力なのでしょうね。普通の人は、それがなかなかできない。吉藤さんは、小さい頃からクリエーティブだったのですか。

吉藤 実は、小学校5年生くらいから不登校になりました。小学校4〜5年生というと精神的に大人になってくる時期ですが、私は子どもっぽいタイプでいつまでたっても走り回ったり、落ち着きがなかったりしたので浮いていました。体も弱かったので2週間くらい入院すると、「もう、みんな、私のことを忘れているんじゃないかな」という気持ちになってきて。

前野 それは精神的につらそうですね。

吉藤 とてもつらかったです。続けていた習い事もやめて、しばらく療養をすることになると、どんどん気持ちがネガティブになっていきました。居場所もなければ、やることもない。ただ「寝ていろ」と言われるだけ。最後の方は昼夜逆転して食べ物もうまく食べられなくなって、食べても味がしなくなってくる。本当に何のために生きているのだろうというレベルになってきて、日本語も忘れかけました。そんな天井をポーっと見続けるような生活を続けていた中学1年生、12歳のとき、母が「あんた、ロボットに興味はないか」と言ったんです。

前野 いきなりですか。

吉藤 母はロボコン(ロボットコンテスト)が好きで、私も工作が好きだったので、NHKのロボコン大会の番組を毎回見ながら「こういうのにいつか出られたらいいよね」という話をしていました。小学校1年生のときにはロボコンの大会を見学にも行きましたが、その後はロボットに触れることもなかったのに、突然母が、「ロボットの大会が近くの科学館であるから申し込んでおいたよ。あんた折り紙ができるんだから、ロボットもできるに違いない」と。

前野 無茶振りだなぁ。