慶應義塾大学大学院の前野隆司教授と、和える 代表取締役の矢島里佳さんによる対談の第2回。高校生の頃から矢島さんは、近江商人の「三方良し」の言葉が好きだったという。「もう経済は成長しない」と憂う大人たちの中で、既に物欲が満たされた「失われた20年の世代」と言われながら育った矢島さんの幸せに対する考え方を、高度成長期に生まれ、社会人としてバブルを体験した前野教授が分析する。
和えるの矢島さん(左)と、前野教授(写真:加藤 康)
和えるの矢島さん(左)と、前野教授(写真:加藤 康)

自分が幸せでなければ、そもそも前に進めない

前野 矢島さんが和えるを立ち上げたのは大学4年生のときですよね。僕は、矢島さんが何でそんなに早熟なんだろうと思って見ていました。

矢島 高校生の頃から、私は近江商人の「三方良し」という言葉が好きで、それが潜在的に自分の根底にある気がしています。

前野 「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」ですよね。

矢島 はい。だから自分だけが「やりたい」、自分だけが「幸せ」だと、何か満たされないところがあって。でも、自分がやりたくないと、そもそも前にも進めません。だから、まず自分が「やりたい」「幸せ」があって、その後に「あなたは?」「社会は?」が来るのだと思います。

前野 「自分の幸せからスタートしていいんだよ」と聞くと、「思いやりがなく、金もうけだけの発想だ」と否定的に捉える人は多いんですよね。

 自分の幸せが後回しになる社会では、自分が幸せになるための本質を考えるのではなく、生きるため、職を得るために自分の方を変えざるを得ない。結果、世の中の流れに踊らされて、「良い会社に就職しなければ」「自分のスキルを高めなければ」と考えがちです。

矢島 人間が自分たちで生み出した資本主義というシステムに、いつの間にか自分たちが支配されてしまったということですね。

前野 そうです。矢島さんは大学生のときに、「まずは自分の幸せだ」と気付いた。それが僕にとっては驚きなんです。

矢島 自分の思考が特別に深かったということではなく、私が生まれ育った社会背景と時代の影響がかなり大きいと思っています。私が生まれた1988年は、ちょうどバブル経済が弾けそうな頃でした。だから、物心ついたときには既に日本は経済の低迷期といわれていました。「失われた20年の世代」と最初に呼ばれて、大人たちは「もう経済は成長しない」とひたすら憂いている状態でした。

 でも、私は「ちょっと待てよ」と。「自分たちの世代は結構、幸せだった」と思いました。毎日3食のご飯を食べられましたし、病院にも行けた。学校にも通えた。「結構、豊かではないか」と思いながら育ちました。恐らく、私の祖父母の時代よりも欲しいモノを手に入れているし、モノがなくて困ったことはほとんどありません。つまり、経済成長期に生まれた大量生産、大量消費の恩恵を受けた世代です。物欲は生まれたときから既に満たされていました。

前野 それは、家庭が裕福だったからというわけではなく?

矢島 いえ、普通の家庭でした。下に妹もいたので、大学は奨学金を活用して進学し、自分で返済しています。でも、裕福な家庭でなくても自分の思いとやる気があれば、大学にも行けるのです。お金がないからと諦めなくていい社会システムを先人たちが作ってくださっていたからですね。「あなたはお金がないから慶應義塾大学に行けません」ではなくて、「やる気があって思いがあるならば、お金のことは後でいいよ」という社会。とてもありがたかったです。

前野 同世代の人は、みんながそう感じているんですか?

矢島 みんなとはいえませんが、そう感じている人は少なくないと思います。資本主義はもともと、必ずしも成長を前提としていなかったはずです。それが、ある時どこかで成長を前提としてからおかしくなった。

前野 産業革命のころでしょうかね。