日本の半導体産業は「技術力で勝っても、ビジネスで負ける」と長らく言われてきた。1980年〜90年代に国内電機大手がこぞってDRAMを手がけていた時代は、技術力と投資能力が重要な競争ポイントであったが、その後の注力分野となったシステムLSIでは、「ビジネスモデルの構築」が大きな分かれ目となり、国内半導体メーカーの多くがグローバル市場で競争力を失う結果となった。とりわけ、製品規格などを同業他社とともに策定する標準化と呼ばれる分野では、日本企業はこれを軽視する風潮がいまだあり、競争力低下の一端とも指摘されている。

 現在は関連企業、団体における国際標準化活動を支援し、SEMIスタンダード日本地区トレーサビリティ委員会共同委員長などの標準化分野における要職を務める伊賀洋一氏に、標準化分野における日本の現在地点と、今後の取り組みについて伺った。前編となる今回は、伊賀氏の経歴と標準化に関わるようになった経緯、これまでの標準化の取り組みとその成果について聞いた。

——まずは伊賀さんのこれまでの経歴を教えてください。

伊賀洋一氏
伊賀洋一氏
(写真提供:パワーデバイス・イネーブリング協会)
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伊賀 私は1975年に日本電気(NEC)に入社し、半導体事業に39年間携わってきた。生産技術や製品技術、信頼性品質技術の開発などに従事し、その後の半導体事業の統合を経て、2014年にルネサス エレクトロニクスを退職した。現在は関連企業、団体における国際標準化活動を支援し、ISO/TC247/WG3コンビーナ 日本代表国内審議委員会委員長、JEITA半導体信頼性技術小委員会サブコミティ認定WG主査、SEMIスタンダード日本地区トレーサビリティ委員会共同委員長などを務めている。

——標準化との関わり合いは。

伊賀 NECエレクトロニクスに籍を置いていた13年前(2004年)から、標準化分野との関わり合いを深めていった。各社が標準化をリードして、業界スタンダードを手中に収めたいという思惑が強まるなか、SEMIの標準化委員会に会社代表として参加することになったのが始まりだ。加えて、半導体の信頼性技術を標準化したいという会社の意向を受け、今から8年前の2009年からJEITAの作業部会にも参加することになった。並行して、このころからISOにも参加している。当時トレーサビリティーの考え方・必要性が広く普及したタイミングでもあり、何か不具合が生じた時に、一気通貫で管理できていれば原因究明も早期に行える。トレーサビリティーの標準化が1つのミッションでもあった。

 もう1つは信頼性試験の標準化だ。ユーザーとメーカー(半導体メーカー)側がある規格でシンプルにやり取りできる体制を構築するため、自動車や産業機器分野を中心に標準規格の策定に携わった。