IGBTやMOSFETなどに代表されるパワーデバイスは、電力制御・管理を目的とした半導体デバイスの一種である。現在、自動車や産業機器、エネルギー関連機器、鉄道車両向けなどに搭載され、省エネニーズの拡大に伴って、市場が順調に拡大している。さらに、パワー半導体の応用分野はこれら市場にとどまらない。国を挙げて産業育成を進めている医療機器分野も、パワーデバイスの有望市場の1つだ。

 日本では現在、重粒子線を用いたがん治療が注目を集めており、ここでもパワーデバイスは活躍の場を広げている。重粒子線によるがん治療は、がんをピンポイントで狙い撃ちでき、体への負担が少ない治療方法として今後のさらなる普及が期待されている。

 今回は重粒子線がん治療装置の研究でトップを走る、量子科学技術研究開発機構 放射線医学総合研究所(放医研) 加速器工学部 部長の野田耕司氏に、重粒子線を用いたがん治療の現状と今後、そして、がん治療の最前線にパワーデバイスが果たす役割について聞いた(本コラムの詳細はこちら、PDEAについてはこちら、半導体テスト技術者検定の教科書についてはこちら、検定の問題集についてはこちら)。

――重粒子線を用いたがん治療について知りたい。

野田氏 重粒子線は病巣への線量集中性に優れるとともに治療効果も高く、がん治療に適した性質をもつ放射線だ。放医研では1994年から重粒子線がん治療の臨床研究に取り組んでいる。2003年には厚生労働省から先進医療の承認を受けている。

 放医研がエックス(X)線やガンマ線などによるがん治療を始めたのは、1961年に遡る。サイクロトロンを用いて1975年から開始した速中性子線治療や、1979年から開始した陽子線治療は、従来の放射線(X線など)治療ではなかなか効果のあがらなかった一部のがんに対して優れた治療効果を見ることができた。

 しかし、速中性子線や陽子線を用いても治療の困難ながんについては、速中性子線の持つ高い生物効果と、陽子線と同様のシャープな患部集中特性をあわせ持った、新たな粒子線による治療を開発することが重要な課題となっていた。そこで放医研では、これまでの研究成果を生かして重粒子線の医学利用を推進することとし、そのために必要な世界初の医療用重粒子加速装置(HIMAC)の調査研究を1984年から開始した。

量子科学技術研究開発機構 放射線医学総合研究所(放医研) 加速器工学部 部長の野田耕司氏(出典:量子科学技術研究開発機構 放射線医学総合研究所)
量子科学技術研究開発機構 放射線医学総合研究所(放医研) 加速器工学部 部長の野田耕司氏(出典:量子科学技術研究開発機構 放射線医学総合研究所)

――HIMACの概要を教えてほしい。

野田氏 HIMACは、Heavy Ion Medical Accelerator in Chibaの略で、世界初の重イオンがん治療専用施設だ。HIMACは、炭素線をはじめとする重粒子線を核子あたり最大800 MeVのエネルギーまで加速するための主加速器・入射器と、患者に照射するための治療照射装置で構成されている。

 1984年から調査研究に着手し、1993年に完成したが、そこまでの道のりは今思い返しても驚異的なスピードで進んだと思う。我々もそうだが、協力してくれていた民間企業も初めての経験だからこそ、皆死に物狂いでやったと思う。当時は月曜から木曜の朝10時から夜10時までずっと会議や打ち合わせといったスケジュールで仕事をしていた。

 そうした努力の甲斐あって、HIMACは1993年に完成したのだが、当時は「すぐにビームは出ない」といわれた。要素技術はそれぞれ高いレベルでできていたが、それらを組み合わせてはいないためで、イオンを作るのも難しいとさえいわれていたころである。結果的には約1カ月程度でビーム照射に成功し、翌年の1994年から臨床研究を開始することができた。

――その後も順調に臨床研究を進められたのか。

野田氏 肺がんなど、動く臓器に対して適切に照射できる技術の必要性に直面した。そこで開発したのが、「呼吸同期照射」だ。これは肺がんに対し、息を吐いたときの腫瘍の動きが小さくなった時にだけうまく照射できるという技術だ。この呼吸同期照射法は1996年6月から導入を開始しており、これができたことで世界との差を広げることができたと同時に、重粒子線で行えるがん治療の適用範囲が一気に広がったと思っている。

 ここからは、呼吸同期照射をより高度化させていきたいという考えのもと、様々なトライアルを行ってきた。具体的には今よりももっと照射時間を短くしたいというところが目標であり、ビーム強度を高めることなど注力してきた。