世界には本当にさまざまな言語や文化がありますが、それらによってそれぞれ異なる「会話の呼吸」のようなものが存在します。よく日本語は単刀直入でなく遠回しな言い方が多いと言われますが、これは日本語に限った事ではなく、ほぼどんな言語でもネイティブスピーカー同士の会話では遠回しな言い方が意外と多く使われるようです。

 私が直接経験した中でも、私の英語力を相手が低く評価しているときほどシンプルな、高く評価しているときほど遠回しな言い方が増えるように思います。また、ドイツ語やフランス語などを母国語とする人に聞いてみても、ネイティブ同士の会話ではシンプルかつストレートな言い方はあまりしないと言っていました。これがネイティブ同士でなくなる、つまり会話のどちらか一方、あるいは両方がたどたどしいようだと、遠回しな言い方では伝わらなかったり誤解を生んだりする可能性が高くなるため、ストレートな言い方に頼りがちになる、ということだと思います。とはいえ、遠回しな言い方そのものは言語によってそれこそ千差万別ですから、日本語の少し気の利いた言い回しをそのまま慣れない英語に直訳すると、おそらく補足説明が必要になって、会話の内容が本題から離れていってしまうリスクが高いので注意が必要です。

 言い回し以外にも、相づちや、発言の始めと終わりのタイミング取り(発言権の受け渡し)などにも「会話の呼吸」は存在します。英語の中での相づちは、日本語のそれに比べるとほぼ「相づちナシ」くらいのイメージに近いです。日本語では発言の句読点ごとに常に何らかの相づちを入れるのが一般的だと思いますが、英語ですと場合によっては読点どころか句点も相づちナシで流すことが少なくありません。

 隣で誰かが電話機を耳に当てたまま黙っていても、保留にされて待っているのか、電話の相手が延々喋っているのか、全く判別つかないほどです。逆に、日本語の電話で聞き手(私)が英語の相づち感覚を引きづったままですと、話し手(相手)が相づちを待ってしまい、「もしもし? 聞こえてますか?」「はいはい、聞こえてますよ」というやり取りばかりで話しが前に進まなくなってしまったりします。