「IoT」と共に知名度を高めてきたドイツの製造業改革国家戦略「インダストリー4.0」。今回は、インダストリー4.0登場の経緯から、その本当の狙いを探るべく、ドイツ・ミュンヘンで創設された経営コンサルティング会社、ローランド・ベルガーの日本法人 代表取締役社長の長島聡氏とリンカーズ専務執行役員 桑島浩彰氏の対談第2回を紹介します。

ローランド・ベルガ― 代表取締役社長の長島 聡氏(右)。(以下写真:栗原 克己)
ローランド・ベルガ― 代表取締役社長の長島 聡氏(右)。(以下写真:栗原 克己)
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桑島氏:ちょっと視点を変えて、長島さんのキャリアについてご紹介をお願いします。元々は大学の研究者でいらっしゃったそうですよね。それからローランド・ベルガーに参画されたのは1996年、日本のバブル期より正確には少し後ですけれど、製造業はいわば“絶頂期”にあったときですよね。それ以来、20年間ずっとローランド・ベルガーにいらっしゃる中で、いろいろな問題意識を持って製造業を見ていらっしゃったと思います。この20年間を俯瞰して、そもそもどういう思いでコンサルティングしてきたのか、この20年間に日本の製造業、あるいは海外の製造業、長島さんの視点から見て、どう変化してきたのでしょうか。ぜひ、個人的なキャリアも重ね合わせて、お話しください。

長島氏:半導体の研究をしていたんです。表面で電子が出たとかでないとか、原子の周りに電子が何個どうやって回っているとか。そんなことをやっていたので、正直、コンサルティングっていうところに入って、「俺は何ができるんだ?」というところから始まりました。

 それで最初、製造業のお客さんのところに行って…なんでしょう、会話が成り立たないんですよ。こっちは研究者ですし、技術ではなく、製造業の流通サイドの方々と一緒に仕事を始めたところ、会話が成り立たないわけです。そこから3年ぐらいでしょうか、事業とか、製造業の方々が大事にしていること、それこそDNA的なところをずっと学んでいた感じです。それでお金をもらっていいのか、というのは置いておいて(笑)、ずっと学んでいましたね。そのあたりからようやく、だんだんだんだん会話もできるようになってきて、彼らがやりたい方向感っていうのがすごく見えてきた。

 その当時は、“カイゼン”のスピードをいかに上げるかというのが、彼らの1番のポイントでしたね。そのために、今ならIoTですけれど、当時はマニュアルでモニタリングをする。つまり“見える化”です。どれだけ見える化をするか。最初は、結果を見える化する。それから、その頻度を上げて「今こういう結果」だけでなく「1カ月後の結果」「2カ月後の結果」を追っていくと、「あ、そうか。じゃあここで手を打たなきゃ」となる。そして、次第にプロセス、つまり、なんでその結果が出たのか、というのもつかもうとなる。さらには、なんで、どういう事業環境でどんなプロセスでやると、どんな結果が出たか、という因果関係まで把握しようとなる。そういうことまで深掘りしていくと、だんだん “カイゼン”が早くなる。結構長い間、そういうことをやっていました。いかに“見える化”をより立体的に、構造的に捉えるか、という時代でしたね。

 それってつまり、インダストリー4.0をマニュアルでやっていた感じなんですよ。IoTは使ってないですし、まあエクセルは使っていたものの、クラウドもなかったんですけれど、そうやっていろいろなところからデータを集める。それをなるべくリアルタイムに、といっても1カ月ごとなんですけれど、集計する。それで、改善をどんどんどんどん早めていくっていうことをやっていました。

 2000年どころか、2010年ぐらいまで、別になんにも問題なかったと思いますよ。そして2011年ぐらいからですかね、ハノーバーメッセ(Hannover Messe)で「インダストリー4.0」というのが出て、今年で5年経つわけです(注:インタビューは2016年10月に行いました)。最初出たときは、みなさん別に何だっていう感じでしたね。“見える化”だろ、トヨタ生産方式、看板方式と何が違うんだよ、みたいな感覚ですよ。そこまで徹底的にリアルタイムにすべてものを俯瞰できるようにすることに、日本企業はトライするとも思っていなかったのでしょう。そんなことやったらいくらかかるんだよ、ホントに費用対効果あるのか、と。

 ところが、ドイツが大きな構想を打ち上げて「でもやるんだ」という流れを作っていった。通信コストやセンサーのコスト、インターネットにつなげるコストといった関連するコストが、皆でやればかなり下げられるということを考えついて、ブームにしたんです。その成果が2013~2014年ごろからぐぐっと出てきた。そして、「インダストリー4.0って、もしかしたら費用対効果出るんじゃないの」というレベルに至ってきたんです。

 それを見て、「インダストリー4.0でここまでできるとになると、“カイゼン”の立場も危うい」ということに、日本で気づき始めたのが、2014年くらいのタイミングでしょうか。もちろん、もっと前から気付いていたところもあるでしょう。だけど日本の企業全体としては、たぶん2014年ぐらいからで、2015年ぐらいに腹落ちし始めて、2016年はさあどうしよう、と、皆頑張り始めた段階と思います。