一層の構造改革を推進するパナソニックに、ここ数年間で毎年約20%の成長を続けている事業がある。インド、南アジア、中近東、アフリカでの海外事業だ。その中心がインド事業である。その成長率は2016年で約30%と高く、今後数年間は同水準の成長が続く見通しという。

同社のインドでの歴史は古く、進出したのは1972年である。しかし、思うように事業が伸びず、業績は低空飛行を続けてきた。

そのような状況下で、2008年に現地法人のPanasonic India社の社長に就任したのが現パナソニック 常務執行役員 インド・南アジア・中東阿地域 総代表の伊東大三氏だ。同氏は、製品やマーケティング、経営までも徹底的に現地化して、インド事業をここまで育ててきた。インドをはじめとする新興国を日本企業はどう攻略すればいいのか、同氏に聞いた。(聞き手は松元則雄)

伊東大三(いとう・だいぞう)
伊東大三(いとう・だいぞう)
パナソニック 常務執行役員 インド・南アジア・中東阿地域 総代表。1959年生まれ。1977年松下電器貿易(現パナソニック)に入社。2004年にPanasonic Thailand社 社長。2008年からPanasonic India社社長。2014年に本社役員に就任し、インド・南アジア・中東阿地域総代表を兼務。2016年に常務役員、Panasonic India社 会長。2017年6月から現職。会社生活の半分以上を海外で過ごし、海外勤務は通算20年以上になる。
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――パナソニックは、1972年にインド市場に参入してその後1990年代まで、家電を中心に工場を次々に建設していました注1)。しかし、結局は韓国企業に押されて、1990年代末から2000年代初頭に事業を縮小してしまいました。なぜ早くから進出していたにもかかわらず、うまくいかなかったのでしょうか。

 インドを軽視していた部分がありました。開発途上国では、先進国向けの製品から機能を減らすだけで売れるだろうと思っていた。13億人の民を軽視していたのです。とはいえ、これは当社や日本企業に限らず世界的な風潮でした。

 当時の海外向けの製品開発は、欧米拠点が中心でした。欧米で開発した製品をインドにそのまま持ち込んでも採算が合わないから、スペックを下げるのです。しかし、もともとフルスペックで設計した製品から、少々機能を減らしたり、性能を落としたりしたところで、製品のコストはそこまで下げられませんでした。

注1)パナソニックがインド市場に参入したのは1972年。現地資本と合弁で、乾電池の製造会社を2社設立した。1980~1990年代には、炊飯器やテレビ、洗濯機、エアコンなどの工場を設立した。

3つの現地化と、2つの戦術

――そんな状況の中で現地法人の社長に就任されたわけですが、何を変えたのでしょうか。

 「商品」「マーケティング」「経営」という3つのローカライゼーションと、「対等」「無借金」という2つのキーワードを意識しました。

 インドの方を大切なお客様と捉えて商品を開発し、マーケティングをする必要があります。これが「対等」です。以前はこれが一番弱かったと思います。恐らく、次の新興国市場を開拓する上でも鍵になります。

 新興国や開発途上国というのは、インフラの整備が遅れているから新興国、開発途上国なのであって、商品を見る目に差はほとんどありません。顧客のニーズは、新興国でも先進国と同じくらいある。欧米で作った製品を持ってきて、「それでいいだろう」とやっていた当社を含めた日本企業に商機が訪れないのは必然でした。日本では消費者をしっかり見つめ、その時代のニーズにあった商品を提供してきました。今の時代であれば、介護や省エネに関する商品です。地域や時代ごとに必要とされる強いニーズがあって、そこから逃げた商品は勝てません。インドも同じです。

 例えば、インドの人々は踊りが大好きです。インド映画でも踊りが多いですね。日常でも機会があれば踊ります。その踊りの音楽には、打楽器を多く使います。音の種類でいったら重低音です。当社はTechnicsブランドで日本や欧州で受ける音色の製品を作っていました。Technicsは小型の製品でも大きな音が出せます。インドは、欧州と同じ240Vの電源なので、欧州の製品がそのまま使えると思いました。でも、売れない。なぜかというと、インドの人は大きいスピーカーを好むので、サイズが小さくて値段は高いTechnicsブランドのスピーカーに興味が湧かないのです。