ドライバーへの負担は当然,重くなる。だが,松本はすぐに走行データの重要性を理解した。走行データがあることで,課題の抽出がとにかく速く進むのだ。その一例として「再現性のない現象も記録に残せること」を松本は挙げる。

 例えば,こんなことがあった。走行テスト中,変速すべきところで変速しなかったのだ。すぐさま松本は変速機の担当者を助手席に乗せ,この現象を再現しようとした。言葉で説明するより,実際に体験してもらった方が話は早いと,反射的に判断したからだ。しかし,残念ながら二度と同じ現象は発生しなかった。

 このまま何の対策も施さずに開発を進めていき,もしこの現象が発売後に生じれば,ほぼ間違いなくクレーム案件になる。この現象を実際に経験した松本にとっては,何らかの対策を施してほしいと考えるのは,至極当然のことだった。

 問題は,変速機の担当者をどのように説得するかである。変速機の担当者にしてみれば,不具合を経験していない以上,不具合があるかどうかを判断するのが非常に難しい。やらなければならないことが山積みの中で貴重な工数を割くには,不具合の存在を確信できるだけの根拠が欲しかった。

 従来は「確かに変速しなかった」と言い続けて説得する以外に方法はなく,それを対策につなげるには相当の粘り強さが必要だった。だが,今回は違っていた。走行データにおけるギア位置の推移を見ることで,変速していなかったことを証明できるのだ。実際,この不具合に関しては担当者が原因を突き止め,対策を施した。

あっという間に課題解決

 永井や松本だけでなく,車両の運動性能を重点的に評価する役割の新美豊と神山幸雄も,走行データの有用性を実感していた。分野は違えど,新美は永井と同じ評価エンジニア。一方の神山は松本と同じドライバーである。

 神山は,走行テスト中に「ブレーキペダルが踏めなくなる」という事態に何度か遭遇した。よくよく調べると,その現象は手動でシフトダウン(GT-Rの変速機は,パドルシフトによる変速操作が可能な自動MT)をしていたときに発生していた。

神山幸雄(左)と新美 豊(右) 神山は日産自動車技術開発本部車両実験部ダイナミックパフォーマンス実験グループチーフ。新美も同グループに所属。(写真:栗原克己)
神山幸雄(左)と新美 豊(右) 神山は日産自動車技術開発本部車両実験部ダイナミックパフォーマンス実験グループチーフ。新美も同グループに所属。(写真:栗原克己)

 後で分かることだが,本来作動してはならないアンチロック・ブレーキ・システム(ABS)が作動していたのだ。しかし,その走行テストの時点ではABSが作動した可能性は疑えたとしても,本当に作動したかどうかの確証を持つまでには至らなかった。

 神山の証言を基に,新美は課題の解決に向けて動き始める。ここで,通常の新型車開発のように走行データが十分に存在しない場合には,ほとんど手探り状態で進めなければならない。たとえ,ABSの誤作動という“仮説”が正しかったとしても,誤作動の原因がABS装置自体にあるのか,ABSの作動に関係するセンサ類にあるのか,それとも設計の見落としがあるのかといったことが,全く分からないからだ。原因である可能性が高いものから一つずつ検証していくにしても,とにかく時間がかかる。