前回は日米の人材エコシステムの違い、その人材確保と育成への影響、さらに技術とビジネスモデルのイノベーションに出てくる影響についてお伝えした。今回は米国西部の荒野開拓的な発想と日本の“売って何ぼ”的な発想の違いによるビジネスイノベーションへの影響について。そして、新しい産業革命におけるエコシステムに基づいたビジネスモデルと、スタンドアロン(孤立)型ビジネスモデルの大きな差についに述べる。

ネットの発展はまさに“西部劇”

 筆者は西部劇が大好きである。19世紀末までアメリカ大陸西部の広大かつ荒涼とした土地には住む人が少なかった。ゴールドラッシュが始まったことで、巨万の富を夢見た人々が東海岸から馬や馬車に乗り、険しい道、あるいは道なき荒野を西へ西へと進んだ。トムクルーズとニコールキッドマンが主演した映画「Far and Away」にはまさにこうした状況を映した作品だ。

 当時の西部地域の為政者は開拓者を誘致するため、あるレースを打ち出した。参加者に旗を持たせ、数マイル先にある区分化された土地に向けて一斉に走らせる。気に入った区分に着いて手持ちの旗を土に挿せば、その区分の土地が自分のものになる、というレースである。これはまさしく最初に創出した西部開拓ためのエコシステム的なビジネスモデルであった。土地は人々にタダで与える。すると、土地を得た人々は、その土地に住み着いて開拓を進め、ある程度生活が豊かになったところでさらに親戚や親友を呼んだり、家族を増やしたりする。やがて学校や病院、バーやレストラン、さらには銀行や市場もできて、立派なエコシステム(生態系)として成長し、繁栄して行く。

 現代になって、この西部劇と似たシーンが再現された。舞台は、1990年代初頭に一般公開され始めたインターネットである。我々にとってリアルな世界と異なるもう1つの世界となった。その世界は当初、19世紀の米国西部と似て、コンピューターと通信関係の研究者たちだけがいる、広大かつ荒涼なバーチャルステート(擬似大地)であった。そこにとてつもない巨大なビジネスチャンスが潜んでいるとは誰も知らなかった。このバーチャルステートにはあまりにも“人口”が少なく、ビジネス上の価値を見いだせないのは無理もなかった。

 それでも、次第にさまざまなインフラとなるシステムが構築され始めた。各種のコンテンツサービスは無料で提供されていた。そこに人々がやってきてユーザーになってくれる。その彼らが日常生活の中でこれらのサービスを日々使うにつれて、自然に“人口”や各種サービスにおけるアクテビティが雪だるま式に増え、やがて巨大なエコシステムが形成され始めた。

 このようなインターネット上のエコシステムをここでは、「ビットエコシステム」と呼ぶことにする。このビットエコシステムを主催する者が、巨大な価値を持つ一種の新しいプロパティー(たくさんの人がいる疑似大地)と、コモディティー(たくさんのユーザーデータおよびアクティビティとしての資源)を手に入れることになる。これらもそれぞれ、「ビットプロパティー」と「ビットコモディティー」と呼ぶことにする。ビットエコシステムの中の“人口”、つまりユーザー数が多ければ多いほど、ビットプロパティとビットコモディティの価値も高く評価される。

 最初に述べたように土地を囲い、移民をたくさん誘致してエコシステムを形成させる発想がそもそも西部開拓時代にはすでにあった。インターネット上でこの西部開拓的な発想を用いて戦略的にビットエコシステムを作り出し、それがもたらすビットプロパティとビットコモディティに巨大な利益が潜んでいると、最初に気づいたのも、開拓者的な思想を持ち、冒険精神も旺盛だったシリコンバレーのアントレプレナー(起業家)とベンチャーキャピタリスト(投資家)たちだった。

 そしてそこではYahoo!やHotMail、America OnLine(AOL)、次にGoogle、YouTubeやiTune、それからFacebookやTwitter、さらにはInstagramなどのサービスが次々に誕生し、目覚ましいスピードで成長し続け、あっという間にユニコーン企業(非上場の巨大ベンチャー)になった。巨大なキャピタルたちも争ってこれらのスタートアップ企業に戦略的な投資を行ない、インターネットにおけるビットエコシステムの創出と制覇戦が繰り広げられた。これらのスタートアップ企業の勝者がその分野のビットエコシステムの覇者になった。そしてその勝利の成果として、投資したキャピタルたちと共に巨大なビットプロパティーとビットコモディティーを得て、巨額の利益にあずかった。一方、敗者は身売りになるか、一文無しになって消えて行く結末になった。