これまで、天野浩さん、根岸英一さん、梶田隆章さんという3人のノーベル賞受賞者との対談を行なってきた。彼らの成し遂げたことは、われわれの住み暮らすこの日常生活とも、会社や仕事とも関係のない話だと、私たちは突き放しがちだ。しかし彼らとの対話は、「この世にないものをあらしめる」ことが未来社会を構想することとどのように関係しているのか、さまざまな示唆を与えてくれた。そして今なぜ、日本が「沈みゆく船」になってしまったのかについても、重要な指摘をしてくれた。
<青色LEDでノーベル物理学賞の天野浩氏に聞く>
・失敗は1500回以上、それでも成功するまで続けた
・大学も企業も、世界で戦うにはスピードが足りない
・科学がもたらす恩恵と危うさを社会に伝えているか
<クロスカップリングでノーベル化学賞の根岸英一氏に聞く>
・実験がヘタだったから、誰でもできる化学反応を追求
・博士しか相手にされない欧米、博士を必要としていない日本
・科学者としての素養は、満州の中華料理店で培った
<ニュートリノ振動でノーベル物理学賞の梶田隆章氏に聞く>
・“間違い”の原因を自分の目で知りたいと思った
・若い研究者の待遇は、あまりにひどい
・研究者の頭脳と時間を、違うことに使いすぎている
写真:上野英和(天野氏)、栗原克己(根岸氏、梶田氏)
この「日本の危機」を心から憂うとき、私は今から25年前に、東京・神保町で作家の沢木耕太郎さんと対談したときのことを、鮮烈に思い出す。沢木さんはこんなことを言った。
「もし量子力学をマスターせよ、と言われたら、私は書店 に行って量子力学の教科書を買い、何カ月かかろうが何年かかろうがその本に書かれたことを完璧に理解します。その自信が私にはある。でも私にはどうしてもできないことがあります。それは、その本に書かれていないことを見つけ出すということです。誰も知らないことをほんの1ミクロンでも発見するということ、私にはそれができない。それをすることが科学なんですね」
誰も見たことがないことを見つけたり、誰もできないと思い込んでいることをできるようにしたりする知的営みを「創発」と呼ぶとき、沢木さんは「創発」こそが社会の進化にとって決定的であることを、私に語ったのだった。
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しかしその「創発」の大切さを、1990年代後半以後、日本社会は見失ってしまった。この20年に起きた日本沈没は、ほとんどすべての大企業が研究から撤退し、創造的な若者たちが創造の場を喪失していった社会現象に端を発する。こうして21世紀に入って、日本は科学とイノベーションの両面から世界への存在感を失っていったのである。
その凋落のメカニズムを、私は『イノベーションはなぜ途絶えたか―科学立国日本の危機』(ちくま新書)で論じ、「創発」のケーススタディーを『物理学者の墓を訪ねる―ひらめきの秘密を求めて』(日経BP社)に記した。これら2冊の本をほぼ同時に刊行したのは、社会進化としてのイノベーションと、人間の内なる進化としての「創発」が実は同じコインの表裏であることを示したかったからだ。
今回、近年ノーベル賞を受賞した3人の賢人たちから、どうしても聞きたかったことは、彼らがどのようにして「創発」に至ったのか、という内的プロセスだった。その意味において、この一連のインタビューは、今まで誰も聞いたことがないことを聞き出す初めての試みだったといえよう。
天野浩さん、根岸英一さん、梶田隆章さんに共通する「創発」体験には、1つの普遍性があった。それは、「どんな本にも書かれていない」ことを見つけたときの身震いするほどの戸惑いの感覚だ。20代半ばから30代前半のことだからそんなことを言い出せば、先生や先輩から罵倒されるに違いない。ところが先人たちは、誰もが好意的にその発見を受け止めてくれた。それがこの3人を歴史の前面に押し出した。
こうした「パラダイム破壊」に対する寛容性は、先人たちが世界のフロントランナーだったからこそ持続し得る社会の性質だ。天野さんと梶田さんについていえば、1980年代に日本が物理学においてフロントランナーだったからそれを成し遂げられたといえよう。
翻って、今の日本社会を見つめてみると、誠に残念ながら、周回遅れがますます際立ってきている。根岸さんは、「(米国では)大学はもちろん、著名な企業では研究職を得ようと思ったら博士号を持っていないと相手にしてくれません。ですからいや応なく博士課程に行くしかない。一流の化学会社、特に製薬会社は博士号を持っていなければ面接もしてもらえません」と、「人生の初めに、未踏に遭遇することの重要性」を説き、梶田さんは、「特にショックを受けるのは、いまだに博士よりも学部卒の方がいいなどと言う(日本の)企業人がいることです。誰も知らないことを知った、そういう知的プロセスの価値をもっと世の中に知ってもらわないといけない」と、「未踏に遭遇することなく新事業を興すことの困難さ」を語った。
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グローバルリーダーになるということは、時間軸に潜む不連続性、すなわちリスクに遭遇したとき、自らの判断でそれを乗り越える能力と胆力とを備えることに他ならない。そのためには、「創発」体験が確実に必要だ。今の日本企業に求められていること。それはリスクテークして新しい世界を切り開こうとするリーダーシップを一人ひとりが携えることに違いない。
京都大学大学院総合生存学館(思修館)教授