梶田 陽子崩壊から出るチェレンコフ光を観測するためには、ノイズとなるニュートリノから出るチェレンコフ光との区別を精密にする必要があります。そのためにコンピューターのFortranプログラムを自分で書き、それを改良していったのです。チェレンコフ光のリングが、電子によるものかミューオン(ミュー粒子)によるものかを識別するものでした。ところが、そのプログラムをカミオカンデのデータで試してみると、予想される値と実際の実験データが合わない。

山口栄一氏
山口栄一(やまぐち・えいいち)
京都大学大学院総合生存学館(思修館)教授。1955年福岡市生まれ。専門はイノベーション理論・物性物理学。1977年東京大学理学部物理学科卒業。1979年同大学院理学系研究科物理学専攻修士修了、理学博士(東京大学)。米ノートルダム大学客員研究員、NTT基礎研究所主幹研究員、フランスIMRA Europe招聘研究員、21世紀政策研究所研究主幹、同志社大学大学院教授、英ケンブリッジ大学クレアホール客員フェローなどを経て、2014年より現職。著書多数。(写真:栗原克己)
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山口 それは、原子核と反応して飛び出すものによって3種に分けられる「電子ニュートリノ」「ミューニュートリノ」「タウニュートリノ」のうち、ミューオンが飛び出るミューニュートリノと、電子が飛び出る電子ニュートリノがそれぞれカウントできるということですね。

梶田 そうです。カウントしてみると全然予想値と違って、ミューニュートリノの数は予想の60%ほどでした。最初は明らかに私のプログラムのバグだと思いました。だから誰にも言わず、ある程度検証した上で戸塚先生に相談し、小柴先生にはさらに調べてから報告しました。

山口 それぞれの反応はどうでした?

梶田 お二方とも非常にポジティブな反応でしたね。何かが起こっているのかもしれない、とかなり好意的でした。

知のフロンティアを切り拓く

山口 ミューニュートリノの数が予想値より少ないということは、飛行中にそれが減ったということになります。もし「標準理論」が教えるように、ニュートリノが質量を持たないとすると、光速度で飛行しますから、アインシュタインの相対性理論によって地球で観測したニュートリノの時間は止まってしまう。ニュートリノの時間が止まるということは、ニュートリノの種類は変化できないことを意味します。

 ところが梶田さんは、ミューニュートリノの数が減ったことを見つけました。これは、ニュートリノが質量を持っていて飛行中に別な種類のニュートリノになった、という可能性があるわけです。ニュートリノ振動、つまりそれぞれのニュートリノの数が時間とともに振動するということは、ニュートリノが質量を持たないという物理学の常識(パラダイム)を壊すことを意味します。

梶田 もちろん、可能性の1つとしてはすぐに考えつきますが、他の可能性が排除できません。私自身、たとえニュートリノ振動が起こったとしても、ミューニュートリノの減り方はわずかなはずだという先入観を持っていたので、60%というのは「いや、全然違う。これはおかしい」と。当時はその極端な少なさが何をもってしても予想できない。これは何かしら重要なことだと直感して、直前まで続けていた陽子崩壊の研究をすべてやめて、そちらに集中しました。

山口 その「おかしさ」の解明に、徹底的にこだわったわけですね。そのときの心の動きを想像すると、あるパラダイムに従って山を登っていくけれども、あるところで絶壁から飛び降りなければいけない。つまり誰も知らないこと、見ていないことに突き進まなければいけないでしょう。学界の常識に反してニュートリノ振動の可能性を示す論文を発表されたのは1988年ですが、世界の科学者が予想してないことを言い出すのは勇気がいると思います。そういう感覚はありましたか。

梶田 あると言えばありました。確かにそれを人に言うとなると、相当勇気がいりましたね。

山口 自分が世界の誰も知らないことを見つけたという内なる喜びは感じられましたか。

梶田 喜びというのか、ワクワク感というのか。当時のことを思い出してみると、コンピューターの出した結果がおかしいのかもしれない。では次に何をやったかというと、コンピューターの出した結果に対して、「このニュートリノ反応はミューニュートリノ」「こちらは電子ニュートリノ」といちいち自分の目で確かめてみました。間違いの原因を自分の目で知りたいと思ったのです。自分のプログラムにバグがなさそうだということはすぐに分かり、もっと奥が深いかもしれない、根本的におかしなことが起きている。これは放ってはおけない、ちゃんとやらなきゃいけないなという思いがありました。

山口 ちゃんとやらなければいけない、というのは科学者としての使命みたいなものでしょうか。