イノベーション理論と物性物理学を専門とする京都大学大学院総合生存学館(思修館)教授の山口栄一氏が、新著『物理学者の墓を訪ねる ひらめきの秘密を求めて』(日経BP社)で偉大な物理学者たちの足跡をたどったことをきっかけに、現代の“賢人”たちと日本の科学やイノベーションの行く末を考える本企画。前回に続き、米パデュー大学H.C.ブラウン特別教授の根岸英一氏と、山口氏による対談の模様を伝える。

 話題は、日本とアメリカにおける研究者のあり方の違いへと進んだ。(構成は片岡義博=フリー編集者)

台頭しつつある中国の頭脳

山口 日本では、化学産業は何とか持ちこたえているものの、エレクトロニクスや物理系の産業は総じて落ち込んでいます。シャープは自力再生が難しくなって、ついに台湾の鴻海精密工業に買収されました。東芝も今年に入って子会社の原子力企業(ウェスチングハウス・エレクトリック)が倒産し、何と最も大切な半導体メモリー事業を売却して持ちこたえようと画策しています。

 この凋落の原因は何なのか。かつてイノベーションを支えていた大企業の中央研究所がこの20年間に次々に閉鎖、縮小され、それに代わるイノベーションモデルを日本はアメリカのように見いだせていない、というのが私の仮説です。そこでアメリカの大学で長く研究されてきた根岸さんから、日本の科学を担う企業や大学がどのように見えるかをお聞きしたいのです。

根岸英一氏
根岸英一(ねぎし・えいいち)
1935年満州生まれ。米パデュー大学H.C.ブラウン特別教授。1958年東京大学工学部卒業、帝人入社。1960年フルブライト奨学生として渡米。ペンシルバ二ア大学で博士号取得。パデュー大学、シラキュース大学准教授などを経て1979年パデュー大学教授。有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリングによって2010年にノーベル化学賞受賞。(写真:栗原克己)
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根岸 日本のどこに視点を置くかですね。10年前、20年前に視点を置くと、大きく伸びています。でもこれから大変なときが来るかもしれませんね。中国をはじめ、いろいろな国が追い付いてきていますから。私のいるパデュー大学では、初期の頃は日本人が圧倒的に多かった。けれども最近は中国から来る方が割合からすると多い。それも多くが素晴らしい頭脳を持っています。中国の持っている潜在力は今、ものすごく上がってきていることを感じますね。

山口 日本人はいかがですか。

根岸 日本からは、優秀な方が来られていることに加えて、日本の科学の水準がかなり先行していたという伝統があります。その2つの上に日本人の優位性が保たれているという印象を受けます。

山口 今や日本で理系の学生たちの多くは、大学院博士課程に行くともう将来がないと思っています。アメリカだと、大学院に行く若者たちは研究者になろうと考えて、そういう研究者のキャリアパスもきちんとありますよね。

面接もしてもらえない

根岸 それに加えて、スタンダードがまるっきり違いますね。大学はもちろん、著名な企業では研究職を得ようと思ったら博士号を持っていないと相手にしてくれません。ですからアメリカの場合、いや応なく博士課程に行くしかない。一流の化学会社、特に製薬会社は博士号を持っていなければ面接もしてもらえません。