根岸 アメリカでは博士の学位を取ってから研究職に就くシステムが古くから確立しているので、自分がトップの人間だと思ったら、自ら博士課程に進んできました。また企業に入って博士号を持ってないと、惨めな思いをする。ただ、博士号が研究にとって本質的なものなのかどうかというと、そこまでは言えません。修士で終えた人でも極めて優秀な人はいると思います。

(写真:栗原克己)
(写真:栗原克己)
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山口 例えば科学技術振興機構(JST)のような公的機関、すなわち研究を後押しするための機関に私がアドバイザーとして行ったときは、「みんな博士号を取りなさい」とJST職員のいわゆるプログラムマネジャーたちに言うんです。けれども、JSTとしては「プログラムマネジャーに博士号は必ずしも要らない」と、いささか懐疑的な雰囲気です。日本社会って不思議です。根岸さんもかつて(2016年3月末まで)JSTの総括研究主監を務めていましたね。

根岸 そうですね。そこにおける日米の違いはどこまで続くか。中国などが今後、どんなふうに出てくるか。逆に日本が欧米と中国の間に入って、置いていかれる可能性が大いにありますね。

山口 中国は今、博士号保持者が大変な勢いで増えています。日本でも博士号取得を少しエンカレッジしなきゃいけないと思っています。

根岸 ただ、博士号を持っている者に研究の観点から課せられる責任は高くなければいけないと思います。そういう伝統が今まで日本に少なかった。博士号のプロセスが不十分な点として、1つは博士から企業に入った人のパフォーマンスがかなり悪かったんですね。

山口 そうなんです。

根岸 もう1つ留意すべきなのは、その人が実力を発揮するためにはある程度時間がかかるということです。博士号を取ったら、だいたい30歳になるわけでしょう。そうすると、実際に成果を上げるのは何歳をもって限度とするか。40歳から45歳までとするか。研究者として、ある一定の年齢の間にしっかりしたことをやってもらわなければいけない。何年の猶予期間を与えるかによって立ち上がりの早さも変わります。