天野 それはそうなんです。ただ、名古屋大は幸いにして、しっかり活動ができるような形にしてくださっていて、URAもリサーチのマネジメントをやってくれています。社会との連携にも力を注いでいます。

山口 天野さんも、ノーベル賞を取られた後の忙しさは100倍、1000倍になったと思いますけれど、社会連携、特に一般市民向けの講演がとても多くなったんじゃないですか。

天野 いっぱいアレンジしてくださって、高校生とか、若い人たちと話す機会は増えています。そんなふうに市民が科学にコミットして、応援してくれる、あるいは市民自身でやる。そういう形になっていくと、日本は面白い国になると思いますよ。

山口 面白い国になりますよね。それって、ある意味で天野先生の生涯のテーマですね。それこそ大学の時から、「研究のための研究」ではなくて、「社会のための研究」をやりたいんだと仰っていたわけですから。

天野 そう、大学の教員になろうなんて思ったこともなかったし、好きだからこれまで続けさせていただいたんですから。

山口 青色LEDの実現という「社会のための研究」が、なぜノーベル物理学賞に値するのかと揶揄する人もいるようです。しかしそのような人には、人間の知的営みに対する大事な視点が抜け落ちています。それは、「誰もできないと思っていることをできるようにする」というパラダイム破壊こそが、科学に革命をもたらし、人類を新しい次元に引き上げる、ということです。

 青色LEDには、「この世の誰もできないと思っていた窒化ガリウム結晶の創製」、「理論物理学者ですらできないと思っていたp型窒化ガリウムの実現」、そして「不可能と思われていた窒化ガリウムと窒化インジウムの混晶の創製」という3つのパラダイム破壊が必要でした。その最初の2つのパラダイム破壊を成し遂げた天野さんの業績は、紛れもなくノーベル物理学賞に値します。その意味で、24歳の業績でノーベル賞を受賞した天野さんは、途絶えようとしている日本のイノベーションにくっきりと光明を与えてくれました。

 どうかこれからも、今度は窒化ガリウムのパワートランジスターを実現させ、それを社会に広めて、原発事故で苦しんできた多くの日本人に希望を与えてほしいと心から思います。ありがとうございました。

(写真:上野英和)
(写真:上野英和)